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城端曳山祭 本祭り

 5月6日、城端曳山祭 本祭りが始まる。

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傘鉾行列
 曳山巡行に先立って行われ、先頭に剣鉾(けんぼこ)、次に8本の傘鉾、四神旗、最後に4基の神輿が連なり氏子町内を巡行する。背景は蔵回廊。
 曳山を曳くのは大変な肉体労働だが、中高年(見た感じでは50歳以上)が担当する。

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庵屋台
 西上町。京都祇園の一力茶屋を模したもの。
 若い人たちは庵屋台の中に入って庵唄を唄い、頭脳労働を担当する。

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曳山
 西上町「竹田山」。神座の神像は恵比寿。
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まいじょ * 旅行 * 17:12 * comments(0) * trackbacks(0)

城端 建物と街並み

 城端には伝統的な建物があり、歴史的な街並みが比較的よく残っている。廃業した織物工場など、手を加えればまだ使えそうな建物も多い。

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浄念寺
 城端むぎや祭りの町並み踊りの舞台のひとつになる。

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西新田神明社
 ここも町並み踊りの舞台のひとつ。雪のためか、建物はガラススクリーンで覆われている。

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土蔵群「蔵回廊」
 1903年ごろに銀行家の野村利兵衛氏が自宅とともに建造。城端の歴史や文化、先賢の功績などが展示されている。


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城端醤油
 坡場の坂(はばのさか)にあり、ここも町並み踊りの舞台のひとつになる。

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雨樋い
 城端醤油の建物。デザインが凝りまくっている。

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培菌室(城端醤油)
 レンガの壁が美しい。

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坡場の坂からの眺め
 山並みを背景に屋根の連なりが美しい。

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損保ジャパン
 坡場の坂にある、美しい建物。

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宋林寺
 真宗大谷派の寺で、文禄4年(1595年)の開基。境内に川島甚兵衛(1819-79。京都西陣・川島織物の創業者)の墓がある。

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空中歩廊(川島地区)
 道をはさんだ工場と工場を連絡している。

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松井機業場
 現在もひっそりと機織りを続けている。

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松井機業場 ショールーム
 レストランのようだが、絹のテーブルクロスなど商品を展示しているだけで、食事は提供されない。

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正体不明の建物
 店舗のように見えるがそうではないようだ。

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西川産業
 ここも現役で稼働している。

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じょうはな織館
 昭和3年(1928年)建築。城端織物組合事務棟を改築したもの。
まいじょ * 旅行 * 15:10 * comments(0) * trackbacks(0)

城端曳山祭 宵祭り

 城端曳山祭は、1685年(貞享2年)に城端神明社が社殿を再建し春秋の祭りを始めたのが起源という伝統的なお祭りである。5月5日は宵祭りで、6つの町の山宿でそれぞれ神像の展示が行われる。

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寿老人(東上町)
 山宿では、部屋の襖や障子をはずし続き座敷とし畳はすべて新調する。部屋の間にある敷居は取り外しが可能となっており、それも取り外してすべて畳だけにする。畳は畳の縁が入り口から奥に掛けて一直線になるように並べるが、その際敷居を取り外した分の畳が必要で、その分の畳を用意しなくてはいけない。この並べ方は神様を迎えるためのもので、奥行きをより強調するための工夫ともされる。(Wikipedia「城端曳山祭」

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関羽と周倉(大工町)

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恵比寿(西上町)

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大黒天(東下町)

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布袋(出丸町)

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堯王(西下町)

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東上町 庵屋台(城端曳山会館)
 江戸の料亭を模したもの。
 庵屋台は、名前の通り上部が庵(江戸時代の料亭や平安貴族の邸宅の模型)になっており、精巧な模型で一見の価値がある。下部は水引幕で覆われ、庵と水引幕の間の「重(じゅう)」と呼ばれる部分には欄間が飾られている。

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西上町 庵屋台 提灯姿(城端曳山会館)
 京都・一力茶屋を模したもの。夜はこうして提灯をつける。

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巫女の踊り
 神輿御旅所(じょうはな座)にて。ちょっとピンぼけ。

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庵唄特別所望
 じょうはな庵で○○会の皆さんが特別に庵唄を披露してくださった。
まいじょ * 旅行 * 11:47 * comments(0) * trackbacks(0)

城端空き家計画

 私たちが共同購入した空き家を見学した。元はお茶屋だったらしい古い建物である。これから一般社団法人を設立して、補修し、維持管理していくことになる。この建物をどう使っていくか、みんなで考えるのが楽しみだ。

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建物外観
 正面は通りに面していて、目の前を山車や庵屋台が通っていくのを眺めることができる。
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まいじょ * 旅行 * 16:33 * comments(0) * trackbacks(0)

城端町

 5月4、5日、富山県南砺市の城端(じょうはな)という町に行ってきた。目的は、第一に城端曳山祭を観ること。第二に「越中の小京都」と呼ばれる城端の建物や景観を観ること。第三に仲間と共同購入した城端の空き家がどんなものかを確認することだ。

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城端駅
 JR城端線の終点。北陸新幹線ができたので、東京から新高岡駅までが2時間30分、新高岡から城端までが40分で、合計3時間10分ほどで来ることができる。

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城端中心部の地図(Googleマップ)
 町の中心は、国道304号線が南北に通る細長い丘の上にあり、市街地がコンパクトに形成されている。2004年(平成16年)までは独立した町であったが、平成の合併で南砺市となった。

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航空写真(Googleマップ)
 市街地の周囲は田や畑に囲まれている。近くには1000m弱の山々が望め、さらに奥に行くと五箇山・白川郷といった合掌造りの集落がある。城端は山奥の一歩手前のぎりぎりの町である。


まいじょ * 旅行 * 16:18 * comments(0) * trackbacks(0)

加地邸

 展覧会「加地邸をひらく2015春−暮らしの記憶」の最終日の5月17日、加地邸を観てきた。フランク・ロイド・ライトの弟子の遠藤新の作品で、ふだんは未公開の建物である。


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ゲート
 帝国ホテルや山邑邸と同じく大谷石が多用されている。

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アプローチ 
 このアプローチは、ライトの住宅を彷彿させる。
 設計:遠藤新、竣工:1928年(昭和3年)

 建築家・遠藤新については、下記の井上裕一氏による解説が詳しい。

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まいじょ * 旅行 * 13:22 * comments(0) * trackbacks(0)

山町筋

 高岡市の北陸街道(山町筋)沿いには、多くの土蔵造りの建物が残っている。これらの多くは、1900年(明治33年)の大火の後に建設されたものである。街並み形成のきっかけは、1893年(明治26年)の大火をきっかけとした川越の蔵造りの街並みとよく似ている。

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山町筋1
 小馬出町。

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山町筋2
 小馬出町。

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山町筋重要伝統的建造物群保存地区
 高岡市ホームページより
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まいじょ * 旅行 * 11:44 * comments(0) * trackbacks(0)

山口蓬春記念館

 葉山の加地邸を訪ねたついでに、山口蓬春記念館を観てきた。

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アプローチ
 昭和初期に建てられた建物を、昭和23年(1948)から32年(1957)にかけて吉田五十八の設計によって増改築した。蓬春亡き後、大江匡の設計により記念館として改築された。



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まいじょ * 旅行 * 11:02 * comments(0) * trackbacks(0)

旧室崎家住宅

 高岡の伝統的建物群(中町筋)にある、旧室崎家住宅。現在は、高岡市が「土蔵造りのまち資料館」として公開している。

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旧室崎家住宅
 黒漆喰の壁や防火壁を備えた重厚な造り。

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まいじょ * 旅行 * 13:57 * comments(0) * trackbacks(0)

瑞龍寺

 5月6日、高岡市にある瑞龍寺を拝観した。瑞龍寺は、加賀藩二代藩主前田利長公の菩提寺。境内には一面に芝が張られている。

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 これほど大々的に境内に芝がある寺院というのも珍しいが、どうして芝が張られたのか。副住職によると次のとおりである。
『芝生は創建当初ではなく、昭和平成の大修理の際に整備されました。以前は、松やつつじが数十本ありましたが移植いたしました。もともと地形が、深山幽谷ではございませんので、瑞龍寺の伽藍の連なりが大変に美しいため、その面の美しさを最大限生かし、しかも、湿気から建物を守るために、樹木が無い方が良いという判断が、当時の技術保存協会の考えだったと記憶いたしております』(日本歴史旅行協会

 上の文中の「技術保存協会」は、現在の「日本伝統職人技術文化研究会」に継承されているものと考えられるが、その中心人物が上野幸夫さんという方である。
修復の場合は、その建築物を建てた棟梁になりきって常に愛着を持ち、どのような手当てが最良なのかを適切に判断します。推理小説を読むように施主と共に楽しみながら工事を進め、その建物の持つ価値を更に高めて未来の人たちへ継承できる建築とする新築の場合は伝統的な木造構法を用い、独創的な意匠と技で多くの人々に愛され、壊される事なく後世に伝えられる建築とする。


 大修理(昭和60(1985)年-平成7(1995)年)によって瑞龍寺はよみがえり、平成9年(1997年)に国宝に指定された。
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まいじょ * 旅行 * 23:01 * comments(0) * trackbacks(0)
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