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幸せの一枚

 お昼ごはんを食べた食堂でみたテレビのニュースで、沖縄全戦没者追悼式で中学生が読んだ自作の詩がこころに響いた。浦添市立仲西中2年の嘉味田朝香(かみだ・ともか)さん(13)の作品だ。

幸せの一枚
          仲西中学校2年
           嘉味田 朝香
私の祖母が持つ一枚の写真
何年も経つけれど
忘れられない笑顔
忘れられない言葉
小学生の頃
先生がだした宿題
家族から戦争の話を聞いてくること
急いででかけた
祖母の家
祖母は何も言わず
棚の奥から
一枚の写真を
取り出した
古びた写真に写る
子どもたち
満面の笑顔の男の子
勝気(かちき)そうな女の子
おとなしそうにはにかむ笑顔
豪快に口をあけた笑顔
たくさんの笑顔
一人一人の目は
未来を見つめ
キラキラ輝いている
「この人だぁれ?」
真ん中に写る女性を指さし
祖母に尋ねる
祖母は寂しそうに笑い
「わたし」
一言だけ答えた
一人一人の顔を
愛(いと)おしそうに
懐かしそうに
指でなぞるように
眺めながら
時が止まる
「この子たちは?」
ふたたび祖母に尋ねる私
「おばあちゃんの生徒たち」
「大切な大切な生徒達」
「みんなどうなったの?」
祖母は答えなかった
ずっと黙ったままだった
幼い私にも
祖母の深い悲しみが
深い苦しみが
痛いほど伝わった
長い沈黙のあと
祖母は
「どうして戦争なんかするのかねー
 戦争さえなかったら
 みんな幸せだったのに…」
私はもう一度写真を見た
みんな笑っている
幸せそうに笑っている
愛する家族がいたはずだ
たくさんの夢があったはずだ
大人になるその日を夢みていたはずだ
その笑顔を 幸せを
奪った戦争を
私は許さない
絶対に許せない
祖母は多くを語らない
私はあれ以来
あの写真を見てはいない
祖母の家に眠る一枚の写真
それにこめられた祖母の思い
もう何年も経つけれど
忘れない
私はずっと忘れない
私たちが忘れない限り
平和は続くだろう
だからこそ
忘れてはいけない
この地には
たくさんの笑顔が
たくさんの夢が
眠っていることを
JUGEMテーマ:日記・一般


まいじょ * ノンセクション * 00:09 * comments(0) * trackbacks(0)

ドン・カルロ

 6月18日(土)メトロポリタン・オペラ(MET)の来日公演「ドン・カルロ」(NHKホール)を観てきた。

ドン・カルロ

 病気や原発を理由とした指揮者や出演者の変更でいろいろあったし、とにかく来日公演が実現しただけでも良しとしよう。いろいろと想定外のことばかり起こるなかで、代役も含めてこれだけのキャストを揃え、あれだけのパフォーマンスを演じたのだからやはり大したものだ。ゲルブ総裁をはじめとする関係者の努力に素直に感謝する。

 代役の女性歌手ポプラフスカヤとグバノヴァはそれぞれ役に声も合っていたし、良かった。残念なのは、タイトルロールを演じた韓国人テノールのリーの歌声の線が細くて、この役に求められるスター性を感じさせなかったことだ。比べてはいけないかもしれないが、カウフマンの放つオーラのようなものは彼の声や演技にはなかった。

 期待通りに良かったのは、ホロストフスキーとパーペだ。この二人のどちらかが舞台にいるだけで、圧倒的な存在感があり、堂々とした歌声も、落ち着いた演技も、世界最高の歌劇場にふさわしいものだった。低音歌手を重用するヴェルディの作品で、この二人の声を生で聴くことができただけでも幸せだ。

 ルイジの指揮は、レヴァインと比べるとやや抑制気味だが、オーケストラの一つ一つの楽器の魅力を丹念に紡ぎ出し、歌にぴたりと寄り添わせる技術はすごい。首席客演指揮者とはいえ、急な代役にこれほどの実力者をたてられるところがメトのすごいところかもしれない。

【スタッフ】
演出 : ジョン・デクスター
指揮 : ファビオ・ルイジ ← ジェイムズ・レヴァイン
【キャスト】
エリザベッタ(S) :  マリーナ・ポプラフスカヤ ← バルバラ・フリットリ
エボリ公女(Ms) : エカテリーナ・グバノヴァ ← オルガ・ボロディナ
ドン・カルロ(T) : ヨンフン・リー ← ヨナス・カウフマン
ロドリーゴ(Br) : ディミトリ・ホロストフスキー
フィリポ五世(B) : ルネ・パーペ


JUGEMテーマ:音楽


まいじょ * オペラ * 17:30 * comments(1) * trackbacks(0)

鷲田清一さんの寄稿

 昨日(6月11日)の朝日新聞朝刊に掲載された臨床哲学者・阪大総長の鷲田清一さんの文章が心にしみた。それは、次のような一文ではじまる。
<隔たり>ということを、いまもって強く意識させられたままだ。被災した地域の人びとと被災しなかった私たちとの<隔たり>。

 次の一文も、このところずっと感じていたことだ。
「がんばろう」「お見舞い申し上げます」という、もはや惰性と化した物言い。ここに人は、被災した人たち一人ひとりに届けられることのない「空語」をしか見ないであろう。」

 声を出して読みすすむうちに、涙がにじみ、声がふるえた。
被災地では多くの人が<語りなおし>を迫られている。
 語りなおしは苦しいプロセスである。そもそも人はほんとうに苦しいときは押し黙る。(中略)
 けれども、語りなおしは沈黙をはさんで訥々としかなされないために、聞く者はひたすら待つということに耐えられず、つい言葉を迎えにゆく。「あなたが言いたいのはこういうことじゃないの?」と。言葉を呑み込みかけているときに、すらすらとした言葉を向けられれば、だれしもそれに飛びついてしまう。(中略)
 黙り込んでいた子どもが、母親が炊事にとりかかると逆にぶつくさ語りはじめるように、言葉を待たずにただ横にいるだけの人の前でこそひとは口を開く

 カウンセリングの基本かもしれないが、被災者に寄り添うときのあるべき姿勢を教えられたような気がする。
 先日、南相馬市からの避難者と飲みながら夜遅くまで話をする機会があったが、どれだけ傍らにいるだけの存在でありえたか、反省しきりである。次に東北の人と接するときのために、もう少し想像力を鍛えておこう。
 鷲田さんも引用している井上ひさしさんの「難しいことを易しく、易しいことを深く、深いことを面白く」を地でいったような文章である。機会があれば、ぜひ全文をお読みいただきたい。

2012.1.30追記

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まいじょ * ノンセクション * 11:32 * comments(0) * trackbacks(0)
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