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劇団民藝「洗い屋稼業」

 昨日(8月14日)は、劇団民藝の稽古場公演「洗い屋稼業」を観てきた。

稽古場玄関

作 モーリス・パニッチ
訳 吉原豊司
演出 高橋清祐
出演 水谷貞雄 小杉勇二 里居正美 梶野 稔

 会場は稽古場だから、収容人員50名ほどしかない。若い女優さんからドリンクサービスをいただきながら開演を待つ。すぐ目の前の舞台には、洗い場の什器がおかれ、たくさんの皿が積み重ねられている。

洗い場の舞台

 舞台は、高級レストランの地下の洗い場。華やかな地上の世界と結ぶのは、皿を運ぶダムウエーター(荷物専用のエレベーター)と、地下で働く者だけが上り下りする階段だ。ダムウエーターで汚れた皿が上から送られてきたら、それをきれいに洗ってから上に送り返す。その単純な繰り返しが、この劇の登場人物「洗い屋」の仕事だ。

 まず、地下という舞台の設定が面白い。地上は、華やかな饗応の場であり、金持ち=成功者=知的労働者=搾取者の世界である。これに対し、地下の洗い場は、貧乏人=脱落者=労働者=単純労働者=被搾取者の世界である。ドストエフスキーの地下室と同様、地下で生きる人々は地上の世界とは断絶しながら、たえず地上を意識しなら暮らしている。上にいる上司や客たちは、決して下の世界に足を踏み入れることはない。上から時折きこえる喧騒の音。上から運ばれる食べ残しでわかる地上の人々の豪奢な暮らし。それに比べて、地下で働く「洗い屋」たちの何とみじめなことか。

 だが、洗い屋のボスは、このレストランの信用は洗い屋の仕事の完璧さによって保たれているのだといって、新人にプロ意識を植えつけようとする。職業に貴賎はないともいう。だが、職業を選べるなら、こんな仕事はしたくないという仕事に、実に多くの人がついているのも事実だろう。

 新人は、どうしても洗い屋の仕事に甘んじることができず、きっかけをつかんで去っていく。ある日、彼は、逆・玉の輿にのることに成功し、「上」のレストランで開いた結婚披露宴を中座して、「下」の洗い場に現れる。普通に考えれば、嫌な奴である。だが、成り上がった彼は、幸福をつかんだわけではなかったようだ。

 原作者はカナダ人の翻訳ものということだが、台詞が日本語として十分にこなれていた。日本でも、不況やリストラで、この劇の登場人物の台詞に身につまされることも多いと思う。観終わってからも、いろいろ考えさせられる深い内容の演劇だった。

 狭い稽古場が地下室の臨場感を高めることに成功し、役者たちの演技が迫力をもって伝わってきた。劇団民藝の稽古場公演を観たのはこれで3回目だと思うが、こうした実験的な試みはぜひ続けていただきたい。私も、紀伊国屋サザンシアターや三越劇場での本公演にも行くことにしよう。事業仕分けの影響で、多くの芸術団体が悪影響を受けているようだが、劇団民藝のような良質な演劇のともしびを絶やさぬために、できることはそれしかない。



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まいじょ * ステージ * 11:40 * comments(1) * trackbacks(0)
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