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筝とオーケストラの饗宴

 4月13日、佐渡裕(指揮)×沢井一恵(筝)×坂本龍一(作曲)による「筝とオーケストラの饗宴」(兵庫芸術文化センター管弦楽団)を聴きにオペラシティコンサートホールに行ってきた。

筝とオーケストラの饗宴

【曲目】
  • グバイドゥーリナ:樹影にて
    〜 アジアの箏とオーケストラのための(1998)
  • プロコフィエフ:バレエ組曲《ロメオとジュリエット》より
  • 坂本龍一:箏とオーケストラのための協奏曲[初演]

 坂本龍一が今回のために書き下ろした「箏とオーケストラのための協奏曲」を世界初演! という触れ込みだったが、実は直前の4月9日〜11日にこのオーケストラの本拠地、兵庫芸術文化センターで同じプログラムを演奏しているのだった。現代音楽中心のプログラムであるにもかかわらず、兵庫では3日間とも完売したというし、東京でも完売、満席の盛況であった。オーディエンスも通常のクラシックのオーケストラの公演に比べると、老若男女に偏りがなく(若い女性が多め)、バランスがとれていたように思う。

 1曲目のグバイドゥーリナの作品は、N響の委嘱により1999年に初演されたもので、沢井さんが一人で筝、十七絃筝、ツェン(中国の筝)の3つを弾きこなし、絃を指で爪弾くだけでなく、コップや弓を使って多様な音を出していた。オーケストラは、筝の音色をいかすために、常に抑制され、通奏音のような音の連続を長く強いられる。これが現代音楽というものなのか。ピアノとかヴァイオリンの協奏曲に比べると、独奏と協奏のそれぞれの魅力がいまひとつはっきりしなかった。

 2曲目のロメジュリは、オーケストラの大音響が奏でられ、1曲目で抑えられていたものが爆発したように思えた。「兵庫芸術文化センター管弦楽団」(PAC)は、平均年齢が若く、他のオケより外国人が多いのが特徴だ。佐渡裕の指揮は、このオーケストラの力をいかんなく発揮させていた。佐渡の指揮をはじめてナマで観たが、おおきな体全体をダイナミックに使い、かつ勘所では繊細な指示をとばしていた。日本人の指揮者の中で、今、彼がいちばん油がのっているのではないだろうか。

 後半は、坂本龍一と佐渡裕のミニトークで始まり、これから演奏される「箏とオーケストラのための協奏曲」について解説された。4つの楽章は、
1. still
2. return
3. firmament
4. autumn
と名づけられているが、それぞれ冬、春、夏、秋に対応しているという。

 お待ちかね、3曲目の坂本作品は、筝の音色は活かしながらも、日本や東洋な響きとは違い、そうかといって西洋的な響きとも異なる、何とも不思議な音楽だった。特に、「firmament」の、静止した夏の感じは、まったくその通りという感じだった。日本でも、アジアでも、スペインでも、夏の暑い日の午後の、何もかも静止し、時間が切り取られたような感覚というのは、世界共通なのではないか。

 この4月に坂本龍一が始めた「スコラ」というNHKの番組で、バッハをとりあげたとき、バッハ以前の音楽とそれ以降の音楽がいかに違うかを紹介していた。調性というものがどんなふうに音楽を進化させたか。トークの中で、教授はバッハ以前の音楽をめざしたという意味のことをちらっと言っていたが、そのせいか、クラシック音楽とは違い、現代音楽とも異なる、今まで聴いたことのないような音楽ができたのだと思う。

 教授は、私のすぐ目の前の席で自作の演奏を聴いていたが、終始頭を動かし、まるで指揮をとっているようだった。難曲をなんなく演奏した沢井一恵さん、手兵のPACを自在に操り、完璧な世界初演を実現した佐渡裕の指揮。坂本にとっても、満足できる仕上がりだったと思う。



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まいじょ * 音楽 * 23:35 * comments(1) * trackbacks(1)
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