スポンサーサイト
2020.03.24 Tuesday
一定期間更新がないため広告を表示しています
スポンサードリンク * - * * - * -
ミハイル・グロモフ博士(フランス高等科学研究所)の話
100年に一度の奇跡を説明するのは実に困難です。しかし、ペレリマンが孤独に耐えたことが成功の理由かもしれません。孤独の中の研究とは、日常の世界で生きると同時に、めくるめく数学の世界に没入するということです。人間性を真っ二つに引き裂かれるような厳しい闘いだったに違いありません。ペレリマンはそれに最後まで耐えたのです。
ジェフ・チーガー博士(ニューヨーク大学教授)の話
「彼の様子をみて、私は“アマデウス”という映画の一場面を思い出しました。モーツァルトが初期のオペラ作品を発表した場面です。音楽好きの皇帝が、モーツァルトのオペラを評して、こう言いました。『音楽は素晴らしかったが、音符の数が少し多すぎる。』するとモーツァルトは皇帝に『どの音符が余計なのか正確に教えてほしい』とかみつきました。『自分の作品には余分な音符もなければ足りない音符もない』と答えたのです。ペレリマンと論文の話をしたときも、ちょうどこんな感じでした。
ポアンカレ予想(1904年)
「短連結な三次元閉多様体は三次元球面と同相と言えるか?」
シルベイン・カペル博士(ニューヨーク大学教授)の話
彼(パパ)は自分がポアンカレ予想を選んだことで何を失ったのかよく自覚していました。彼はある時言いました。
「ギリシアに恋人がいたが、結婚をあきらめた。でも、もしポアンカレ予想が証明できたら、国に戻って結婚できるかもしれない。そのためにも早く証明を完成させたい。」
彼はそう言っていました。
しょっちゅうマリインスキー劇場でオペラを見ているらしい。しょっちゅうなので安い席だそうだ。(こんなことまで、本当に調べられるのか?とも思うが)。
オペラは例えばベートーヴェンの後期の弦楽四重奏やマタイ受難曲と比べて「大衆的」と言われるが、その要素の複雑さや、モーツァルトはじめトップ級の作曲家がこのジャンルに心血を注ぎきっているのを見ると、確かに結果的には宇宙のモデルにもなっているだろうし、高度な論理の長大な蓄積だ。
そう捉えるならば、数学の難問の長大な論文とオペラはとても近いもののように思える。それに世紀の天才が座る席が、特等席やら招待席というのではいかにも不似合いだ。連日天上桟敷のはじっこに現れ、安物のオペラグラスか何かでステージを見つめたり、時々眠ったりしているのが超天才には似つかわしい。
(「グレゴリー・ペレリマン: 平井洋の音楽旅」)
ハンセン「君ら、思い出せよ。近代経済学の父アダム・スミスは何と言った?“競合社会では個の野心が公の利益である”。行けよ。口をきいてフラれてこい」
ナッシュ「アダム・スミスは間違っている。」
ハンセン「何だと?」
ナッシュ「皆がブロンドを求めたらどうなる?−−競合するだけで誰も彼女をモノにできない。じゃ女友達を求めるか?−−“本命じゃないのね”とムクれてフラれるだけだ。だから、ブロンドを無視するんだ。そうすれば利益は衝突せず、女友達も気を悪くしない。それで皆、女を抱ける」
ナッシュ「アダム・スミスは言った。“最良の結果はグループ全員が自分の利益を追求すると得られる。”間違いだ。“最良の結果は、全員が自分とグループ全体の利益を求めると得られる”」
「私はリーマン予想は正しさを証明するのが難しいわけではなく、そもそも正しいか正しくないのかの判定さえできないと考えております。講演の時にはすでに正気を失っていたのでしょう。あの直後から、私は明らかに精神に異常をきたしました。数学の研究には、自身の心の内面をつきつめることが要求されます。ある時には論理的に考え、別の時には非論理的に考えることが要求されます。そうした複雑な思考が精神的な問題につながったのでしょう。」
もうすでにNSAに所属している天才数学者がリーマン予想も素数の謎も解いてしまっているのだが、通信の安全性を保つためそれを秘密にしている、と。