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数学者はキノコ狩りの夢を見る

 昨年11月にNHKで再放送された『数学者はキノコ狩りの夢を見る 〜ポアンカレ予想・100年の格闘〜』が面白かった。

グリゴリ・ペレリマン博士

 ロシアの数学者グリゴリ・ペレリマンは、世紀の難問「ポアンカレ予想」を証明し、2008年フィールズ賞を授賞される栄誉をうけながら、なぜか受賞を辞退した。その後消息を絶ち、故郷サンクトペテルブルク郊外の森で、もっぱらキノコ狩りをしているという噂である。彼はなぜ行方をくらましたのか。

 若い頃のペレリマンは、明るくよく笑う少年だった。ところが、ポアンカレ予想に取り組み始めた頃から、まるで人間が変わってしまい、人付き合いをさけ、もっぱら研究に没頭するようになった。きっとポアンカレ予想の魔力にとりつかれてしまったのだろう。やがて証明には成功したものの、そのためにすべてを捧げ、人間性を失ってしまったのかもしれない。

ミハイル・グロモフ博士(フランス高等科学研究所)の話
 100年に一度の奇跡を説明するのは実に困難です。しかし、ペレリマンが孤独に耐えたことが成功の理由かもしれません。孤独の中の研究とは、日常の世界で生きると同時に、めくるめく数学の世界に没入するということです。人間性を真っ二つに引き裂かれるような厳しい闘いだったに違いありません。ペレリマンはそれに最後まで耐えたのです。

 ペレリマンの天才ぶりを伝えるエピソードがある。ポアンカレ予想の解決に先立つ1994年、ペレリマンは微分幾何学の問題の一つ「ソウル予想」を証明した。得意満面のペレリマン。あまりに簡潔な論文をみて、研究室の教授は「もう少し言葉を足して丁寧に書いたらどうか」と助言した。だが、ペレリマンはそれを拒否したという。

ジェフ・チーガー博士(ニューヨーク大学教授)の話
「彼の様子をみて、私は“アマデウス”という映画の一場面を思い出しました。モーツァルトが初期のオペラ作品を発表した場面です。音楽好きの皇帝が、モーツァルトのオペラを評して、こう言いました。『音楽は素晴らしかったが、音符の数が少し多すぎる。』するとモーツァルトは皇帝に『どの音符が余計なのか正確に教えてほしい』とかみつきました。『自分の作品には余分な音符もなければ足りない音符もない』と答えたのです。ペレリマンと論文の話をしたときも、ちょうどこんな感じでした。

 ペレリマンの成功まで、数多くの数学者がポアンカレ予想の証明に挑み、ことごとく失敗していた。

ポアンカレ予想(1904年)
「短連結な三次元閉多様体は三次元球面と同相と言えるか?」

 ポアンカレ予想は、三次元の空間である宇宙にロープをめぐらせ、その輪が回収できれば、宇宙は丸いといえるはずだという予想だという。

 1950年代、ポアンカレ予想の証明に一番近い男と見られたクリストス・パパキリアコプーロス博士(愛称・パパ)も、数学の魔力にとりつかれ、ポアンカレ予想にすべてを捧げ、果たせなかった数学者である。

シルベイン・カペル博士(ニューヨーク大学教授)の話
 彼(パパ)は自分がポアンカレ予想を選んだことで何を失ったのかよく自覚していました。彼はある時言いました。
ギリシアに恋人がいたが、結婚をあきらめた。でも、もしポアンカレ予想が証明できたら、国に戻って結婚できるかもしれない。そのためにも早く証明を完成させたい。
 彼はそう言っていました。

 番組とは別のところで、その後のペレリマンについて面白いウワサを聞いた。彼は、マリインスキー劇場の天井桟敷で「しょっちゅう」オペラを観ているというのだ。

 しょっちゅうマリインスキー劇場でオペラを見ているらしい。しょっちゅうなので安い席だそうだ。(こんなことまで、本当に調べられるのか?とも思うが)。

 オペラは例えばベートーヴェンの後期の弦楽四重奏やマタイ受難曲と比べて「大衆的」と言われるが、その要素の複雑さや、モーツァルトはじめトップ級の作曲家がこのジャンルに心血を注ぎきっているのを見ると、確かに結果的には宇宙のモデルにもなっているだろうし、高度な論理の長大な蓄積だ。

 そう捉えるならば、数学の難問の長大な論文とオペラはとても近いもののように思える。それに世紀の天才が座る席が、特等席やら招待席というのではいかにも不似合いだ。連日天上桟敷のはじっこに現れ、安物のオペラグラスか何かでステージを見つめたり、時々眠ったりしているのが超天才には似つかわしい。
「グレゴリー・ペレリマン: 平井洋の音楽旅」

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まいじょ * ドキュメンタリー * 21:22 * comments(0) * trackbacks(0)

ビューティフル・マインド

 この映画は、昨日とりあげた「素数の魔力に囚われた人々」の一人、アメリカの天才数学者、ジョン・ナッシュ(1928-)の物語である。彼は、若くしてゲームの理論や微分幾何学で画期的な成果をおさめ、後年、その功績からノーベル経済学賞を受賞した。

ノーベル賞授賞式

 学生の頃から、ナッシュはとても変わった男だった。近代経済学の常識を打ち破る新しい発見をした時のエピソードが面白い。学生クラブのようなところで、仲間の男子学生4人とつるんでいるところに、美しいブロンド嬢とその女友達4名が現れる。まるでフィーリング・カップル5×5のような状況だ。友人のハンセンは、どうせフラれると思って、ナッシュにブロンドにアタックしろとけしかける。

ハンセン「君ら、思い出せよ。近代経済学の父アダム・スミスは何と言った?“競合社会では個の野心が公の利益である”。行けよ。口をきいてフラれてこい
ナッシュ「アダム・スミスは間違っている。
ハンセン「何だと?
ナッシュ「皆がブロンドを求めたらどうなる?−−競合するだけで誰も彼女をモノにできない。じゃ女友達を求めるか?−−“本命じゃないのね”とムクれてフラれるだけだ。だから、ブロンドを無視するんだ。そうすれば利益は衝突せず、女友達も気を悪くしない。それで皆、女を抱ける

ナッシュ「アダム・スミスは言った。“最良の結果はグループ全員が自分の利益を追求すると得られる。”間違いだ。“最良の結果は、全員が自分とグループ全体の利益を求めると得られる”


 これこそ、ゲームの理論の中核をなす「非協力ゲームより協力ゲームを」という話である。今や、この話が普及しすぎたためか、美しい女性に誰もアタックしようとしないようだ。全然モテナイ美人、「なぜこの人が」というのに売れ残っている美人というのが本当にいることを私は知っている。

 さて、ナッシュはリーマン予想に取り組んだ頃から、統合失調症におかされ、幻覚に悩まされるようになる。米軍のスパイが登場し、その依頼で暗号解読をしたり、学生時代のルームメートやその娘の女の子が現れるて交流したりするが、それらはみな病気による幻覚だった。女の子が何年たっても大きくならないことに気づき、幻覚の人々に別れを告げるシーンは涙をさそう。ある意味、自分の分身との決別だったのだろう。

幻覚の女の子

 統合失調症のつらさや向精神薬による治療の苦しさ、家族の不安などが実際どれほどのものかはわからないが、映画ではそれなりによく描かれていたと思う。特に、薬のために妻を拒んだこと(そのつらさ)により、妻がヒステリーを起こし、それで薬を一時飲まなくなったこと(そのつらさ)など、身につまされた。

 現存するノーベル賞受賞者を描いたために、かなり事実とは異なる脚色が行われたようだ。そうした点について批判があるとも聞く。だが、醜いところに目をつぶり、ただ美しく描いて何が悪い。テンポのいい脚本は見事であった。
JUGEMテーマ:映画
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まいじょ * 映画 * 21:33 * comments(0) * trackbacks(1)

素数の魔力に囚われた人々

 昨年11月にNHKで放送された『素数の魔力に囚われた人々 〜リーマン予想・天才たちの150年の闘い〜』が面白かった。
素数階段とガウス

 2,3,5,7,11,13,17,19,23,……という素数の並びに何らかの規則性があるのではないか。昔から多くの数学者たちがこの謎に取り組んできたが、いまだに解明されていない。番組では、素数の並びの不思議さを、例えば素数階段のCGなどを使って、わかりやすく紹介していた。

 素数の不思議を感じさせるのが、オイラーが発見した次の数式である。
πの数式
 どうして、素数を元に計算する左辺と円周率の右辺が等号で結ばれるのかわからない。素数と宇宙とに何らかの関係があるのではないかと、神秘的なものを予感させる。

 数学史上最も難しい問題といわれるのが「ゼータ関数の非自明なゼロ点はすべて一直線上にあるはずだ」というリーマン予想(1859年)であるが、これこそ素数の規則の解明のための最大の鍵である。この150年間、本当に天才的な数学者たちがリーマン予想に取り組んできたが、その中には壮絶な研究のために心身を傷つけた人もいるし、また謎の死をとげた人もいる。
ジョン・ナッシュ博士
 映画「ビューティフル・マインド」のモデルとなったジョン・ナッシュ博士は、プリンストン大学に推薦されるとき指導教官が書いた推薦状には「この男は天才である」とだけ書かれていたという。それほどの天才が、リーマン予想と格闘するうちに統合失調症になってしまった。ナッシュは、今となって、次のようにふりかえる。
「私はリーマン予想は正しさを証明するのが難しいわけではなく、そもそも正しいか正しくないのかの判定さえできないと考えております。講演の時にはすでに正気を失っていたのでしょう。あの直後から、私は明らかに精神に異常をきたしました。数学の研究には、自身の心の内面をつきつめることが要求されます。ある時には論理的に考え、別の時には非論理的に考えることが要求されます。そうした複雑な思考が精神的な問題につながったのでしょう。」


 番組では、インターネットを通じた電子取引や軍事情報の保護に150桁を超えるような巨大な素数を使った暗号になっていることが紹介される。素数の謎が解明されていないことが、われわれの社会の安全につながっている側面もあるらしい。次のようなジョークがあるらしい。

もうすでにNSAに所属している天才数学者がリーマン予想も素数の謎も解いてしまっているのだが、通信の安全性を保つためそれを秘密にしている、と。
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まいじょ * ドキュメンタリー * 23:35 * comments(2) * trackbacks(0)
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