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新国立劇場「アイーダ」

3月16日の日曜日、新国立劇場開場10周年記念公演「アイーダを観てきた。これまで私が観たり聴いたりしてきたものの中で、とにかく最高のパフォーマンスだった。
アイーダちらし
100年以上も前に、エジプトがオペラ劇場をつくった時に、ヴェルディに依頼して作ったのが、この「アイーダ」である。そして、10年前、日本で初めてのオペラ劇場として新国立劇場が初台にオープンしたとき、ゼッフィレッリに演出・美術・衣装を委嘱し、新劇場の持てる装置や技術を総動員してできたがこの「アイーダ」であり、今回はその再々演である。グラントペラというのだろうか、こんなに素晴らしいスペクタクルは他にみたことがない。本物の馬が2頭登場したり、合唱団やバレエ団にエキストラを加えるとおそらく200人以上が舞台にのぼる。アイーダトランペット10台で、ド派手な「凱旋行進曲」が演奏される第2幕は圧巻だった。

10年前、ゼッフィレッリ自らが演出した時の公演はいまや伝説となっているが、今回の公演をみて、この10年間で日本のオペラの実力は確実についてきたと思う。アモナズロをやった堀内康雄など、けっして外国人にひけをとらない。海外の歌劇場の引越し公演に何万も払うより、新国立劇場の方がはるかに価値があると思う。

ゼッフィレッリは、建築を学んだ後、ルキノ・ビスコンティの助監督として映画界に入り、自らも映画「ロミオとジュリエット」(1968)の監督をしたり、ミラノ・スカラ座やニューヨーク・メトロポリタン歌劇場など欧米の一流の劇場でオペラの演出にあたってきたという。その技術を見事に吸収し再現した日本人スタッフの実力も大したものだ。また5年後に再演されるのだろうか。

新聞によると、福田首相も16日の公演を観に来ていたという。そういえば、現役時代の小泉元首相もよくオペラを観に来ていたが、10日の公演にも来ていたらしい。忙しい人ほど、そういう心のゆとりが必要なのだと思う。

劇場の天使
「今時、世界中を探しても、こんなに贅沢な「アイーダ」を上演している歌劇場はないだろう。METやスカラ座が豪華に上演していたとしても、少ない客席数の新国立劇場の方が、観客ひとりあたりの出演者数では勝っているはずである。」

藤本真由オフィシャルブログ
「これが単なるキンキラキンのハリボテ風だったら、「そりゃあ富たってこんな悪趣味なものしかないなら虚しいわな」と、愛の選択を素直に認めてしまえるけれども、そうではない。そこにあるのは、この世に存在する中でおそらく最上級の部類に入る美であって、でも、そのような美よりもさらに崇高な愛があるのだと示される。」

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2008年3月16日(日)14:00開演
【指 揮】リッカルド・フリッツァ
【演出・美術・衣裳】フランコ・ゼッフィレッリ
【再演演出】粟國 淳
【照 明】奥畑 康夫
【振 付】石井 清子
【舞台監督】大仁田 雅彦
【芸術監督】若杉 弘

【アイーダ】ノルマ・ファンティーニ
【ラダメス】マルコ・ベルティ
【アムネリス】マリアンナ・タラソワ
【アモナズロ】堀内 康雄
【ランフィス】アルチュン・コチニアン
【エジプト国王】斉木 健詞
【伝令】布施 雅也
【巫女】渡辺 玲美

【合唱指揮】三澤 洋史
【合 唱】新国立劇場合唱団
【バレエ】東京シティ・バレエ団
【児童バレエ】ティアラこうとう・ジュニアバレエ団
【管弦楽】東京交響楽団
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まいじょ * オペラ * 12:24 * comments(1) * trackbacks(4)

贋作・罪と罰

 NODA・MAP「贋作・罪と罰」脚本・演出=野田秀樹)をWOWOWで観た。原作の舞台は帝政末期のペテルプルグを幕末の江戸におきかえ、主人公を倒幕の志に燃える女塾生とすることにより、わたしたち日本人にはとてもなじみやすいドラマとなった。ドストエフスキーの原作の見事な翻案である。

贋作・罪と罰

●キャスト
 松たか子:三条英(ラスコーリニコフ)理想のために罪を犯した主人公
 古田新太:才谷梅太郎(ソーニャ)英の良き理解者であり、もう一つの顔をもつ男
 段田安則:都司之介(ポルフィーリー)罪を犯した英を追いつめるいわば刑事役
 宇梶剛士:溜水石右衛門(スヴィドリガイロフ)幕末の政情不安に暗躍する謎の人物
 美波:英の妹・三条智(ドゥーニャ)可愛さの中にも心の強さを見せる
 野田秀樹:英の母・三条清、強欲な老婆おみつ(二役)

 若い頃の野田の戯曲のような言葉遊びは少なく、舞台設定を除けば、物語はかなり原作に忠実に進行する。まるで現場に居合わせたかのような臨場感があったのは、老婆殺人のシーンやその後わずかのすきをついて逃走に成功するシーンだ。
 舞台をはさんで後方と前方に客席が設けられ、セットは何もない。そこに数種類の椅子とポールが登場し、舞台は一瞬のうちに老婆の質屋から主人公の部屋、警察署……と、テンポ良く場面転換する。とても面白い演出だった。
 また、原作を「追い詰める側と追い詰められる側とのサスペンス劇」としてとらえた野田は、都司之介に刑事コロンボのように下手にでながら知的な推理によって犯人を追い詰める知的な性格を与え、段田安則が好演した。
   おもしろくて、くり返し読みましたよ。『この世には、犯罪を行うことが出来る人間が存在する。人間は、凡人と天才に分かれ、天才は、あらゆる法律を踏み越える権利がある』そんなくだりがありましたね。
    少し違います。手当たり次第殺したり、かっぱらったりする権利を持っているというのではありません。ただ人間の生命を犠牲にする以外に、天才が、そのなすべきことをなし得ないとしたら。
    『彼らはひそかに良心の声に従い、血を踏み越える権利を自分に与える』まさか、このH.S.という筆者が、三条英という女性だとは思いませんでしたよ。

 ついに都の追求は仕上げにはいる。
   この事件は、左官屋じゃありません、この事件には書物上の空想があります。理論に刺激された苛立つ心があります。とにかく殺した、二人も殺した、理論に従って、呼鈴を鳴らされ、引き戸一枚の恐怖にも耐えた。人を殺してなお、身を潔白と考え、人々を軽蔑し青白い天使面をして歩き回っている。あの左官屋には出来ません、英さん、これは左官屋じゃない。
    じゃあ……誰が……殺したんです?
    誰が殺した? あなたが殺したんですよ、三条英、あなたが殺したんだ。

 都に追い詰められ、徐々に精神がおかしくなっていく主人公・英を松たか子がうまく演じていた。終幕近くの彼女の慟哭。涙なしでは観られなかった。彼女の復活の鍵を握るのは、才谷である。
   才谷、あたしがまちがっていたら許してね。
才谷  英。今すぐ外に出て、十字路に立ち、ひざまずいて、あなたのけがした大地に接吻しなさい。それから世界中の人々に対し、四方に向かっておじぎをし、大声で「わたしが殺しました!」と言いなさい。それから、まっすぐ、ひと言も言わず、牢に入りなさい。そして、その牢の扉が開くのを待ちなさい。俺が、俺がその扉を開けてやる。新しい時代と共に。
   あたしが、待つの。
才谷  英、お前が牢屋の中で俺を待つんじゃない。俺が牢の外でお前を待ち続けるんだ。そして、それから一緒になるんだ。新しい岸辺で、渡り来し彼の岸辺で、大川に抱かれている気がするって。

 ラストシーンの舞台の美しさ、音楽の高揚感は素晴らしいかった。
   覆された宝石のような朝、なんびとか戸口にて誰かとささやく。それは神の生誕の日。才谷、音が聞こえてきたよ。それは私には雪の音色だ。雪の日の朝は何も聞こえない。なのに外は雪だってわかる。雪の音色は、きれいもきたないも、この世の音のすべてを吸い取ってくれる。(ひざまずく)私がけがした大地よ、どうぞ、この音で、この詩で鎮まってください。(大地に接吻する)三条英、私が、殺しました。

 生で観られなかったのが本当に残念だ。いいものをみせてもらった。1995年の初演の台本と比較すると、細かいところでずいぶん改善されていた。大げさかもしれないが、野田秀樹によるドストエフスキーの翻案は、沼野充義がいう「世界文学」をつくる試みの一つではないかと思う。

(【収録】2006年1月12日 東京 Bunkamuraシアターコクーン)


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まいじょ * ステージ * 18:18 * comments(3) * trackbacks(0)
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