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菊豆

 チャン・イーモウ監督が、「紅いコーリャン」に続いてコン・リーを主演に起用して、中国の封建的時代に生きた女性の悲劇を描いたドラマです。日中合作映画で、「紅いコーリャン」を評価した徳間書店社長の徳間康快氏が、製作費や機材などをすべて提供したそうです。

菊豆

 1920年代の中国、菊豆(コン・リー)は、旧家の染物屋に金で買われて嫁入りします。夫となるのは、何十歳も年上で、先妻もその前の妻もなぶり殺したという噂の男です。菊豆は、この夫に夜な夜なサディスティックに責められ、夫への憎悪から夫の甥と不倫して子供を産みます。夫が倒れると、ひそかに夫婦気取りの暮らしを楽しみますが、やがて成長したわが子に復讐されるという、まったく救いのない物語です。

 張藝謀は、自己表現できずに耐える1920年代の菊豆に、原題の中国人の姿を重ね合わせて描いた。「今日の中国がいまのようになってしまった根源がこの映画のなかでに描かれている」とインタビューに答えている。揚家の伝統的な規則にすべてを縛られていて、虐待されて息もできないなかで、菊豆は反抗する形で不倫を犯す。しかし、成長したわが子によってすべてを奪われてしまうのだ。“因果応報”を描きたかったという張藝謀だが、反抗し自己主張した結果、少しでも救いがあったら−−と思うのだが、アメリカ映画のように救いを描けないほど、中国の過去と現実は袋小路に入りこんでしまっているということなのか。
石子順『中国映画の明星 女優篇』


 恐ろしかったのは、3歳にもなって、言葉もしゃべらず、笑いもしなかった子供が、なさぬ仲の父親にまさしく殺されようとした瞬間に、「お父さん」と声を発したことです。それまで悪魔だった夫は、この一声によって、子供に対しては好々爺に変わりました。また、子供と遊んでいた「好々爺」が、事故で赤い染料の入った穴に落ち、溺れてもがく様子をみて、その子が初めて笑ったのです。

 そして、この子はいくつになっても、実父になじもうとしませんでした。不倫、あるいは背徳の関係を続ける二人を、鋭い目でにらむ姿は、まるで旧家の因習を守ろうとする意志が、のりうつったかのようです。

 コン・リーの演技で凄いと思ったのは、壁の穴から夫の甥に覗かれているのを知ったとき、まず羞恥心をあらわし、そして嫌悪感から必死で壁の穴をわらでふさぎ、そして数日後、今度は壁の穴から覗かれることを知りながら、半裸で身体を拭いたときの恍惚とした表情です。この間の心境の変化を、繊細な演技で表現しています。

 壁の穴を知る前の菊豆は、自分ひとりだけの孤独な存在でした。それが、壁の穴からのまなざしによって、他者によって見つめられる存在に変わりました。まさしくサルトルのいう「対自存在」が「対他存在」に変化したのです。

 映画の中では、彼女にまなざしを向けるのはもちろん夫の甥ですが、撮影時にコン・リーが感じていたのは、カメラを通したチャン・イーモウ監督のまなざしにまちがいありません。ゲスの勘ぐりでげすかね。
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まいじょ * 映画 * 17:58 * comments(1) * trackbacks(1)

さよならをもう一度

 イヴ・モンタンイングリッド・バーグマンは、ふたりとも離婚経験者で、つきあって5年になる中年カップルです。お互いに相手を束縛しないというルールで、住まいも別々、それぞれ自立した生活を営んでいます。同棲も結婚もしないのは、プレイボーイのモンタンにとっては都合のいい関係ですが、バーグマンには孤独と不安をかかえる毎日でした。

さよならをもう一度

 そんなバーグマンの前に現れたのが、金持ちのどら息子で若い弁護士のアンソニー・パーキンス。15歳も年上のバーグマンに一目惚れして、猛烈にアタックします。上の写真は、たまたま街でみかけたポスターをみて、「ブラームスは好きかな?」とコンサートに誘っているところです。

 そういえば、この映画、原作はフランソワーズ・サガンの「ブラームスはお好き」だそうです。映画の中で、アレンジを変えて何度も流れるのが、ブラームスの交響曲第3番の第3楽章。ロマンの極みともいえる名曲です。

 バーグマンは、新しい恋人パーキンスと古い恋人モンタンの二人にはさまれて、揺れ動きます。でもこの映画に出てくる男って、どうしようもないダメ男ばかりなんです。パーキンスは、自立心とか勤労意欲とか責任感とか欠如しています。モンタンも、若い女と寝ることしか楽しみはないようなスケベ親父で、自分勝手な男です。

 紆余曲折の末、バーグマンは、元のさやにおさまってモンタンと結婚することになり、同棲していたパーキンスに別れをつげます。

「君は彼のひと言に負けた。“お願いだ”。でも僕は精一杯やった。誇りに思うよ。僕がいたから君は彼と結婚を決意した。僕の役回りはキューピッドだ」

 部屋を出ていくパーキンスの背中に向かって、バーグマンは叫びます。

「I am old! I am old! I am old! I am old!」

 男二人が魅力を感じないだけに、よけいにバーグマンが引き立てられました。観ている人の99.9%が彼女の味方となったでしょう。冒頭のシーンと最後のシーンが、ほとんど同じであることが、彼女にとって一層つらいことであることを知っている観客にとっては、何とも悲しいラストシーンでした。 
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まいじょ * 映画 * 13:10 * comments(11) * trackbacks(3)

白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々

 タイトルの「白バラ」は、ナチス独裁下、ミュンヘンの学生たちによって行われた反ナチ運動の名前で、映画の主人公ゾフィー(ユリア・イェンチ)は女子学生です。

白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々

 1943年2月18日、ハンス(ファビアン・ヒンリヒス)とゾフィーの兄妹は、ミュンヘン大学の構内で“打倒ヒトラー”を呼びかける過激なビラをまいているところをみつかり、ゲシュタポに逮捕されます。目撃者もいて、決定的な証拠もみつかったことから、兄妹の犯行であることは自供せざるをえませんした。しかし、モーア尋問官(アレクサンダー・ヘルト)の執拗な取調べに対しても、ゾフィーは決して協力者の名前は明かしません。

「スローガンは間違ってるが手段は平和的だ」
「じゃ なぜ罰するの?」
「法があるからだよ。法がなければ秩序はない」
「あなたの言う法は、ナチ政権誕生前の言論の自由を守る法よ。今は自由に発言すると投獄か死刑だわ。これが秩序?」
「では法律のほかに何に頼れというのだ?」
「良心よ」

 ナチ政権誕生前のおかげでゲシュタポ尋問官の地位を得たモーアは、第三帝国の理想とドイツの勝利を信じています。一方のゾフィーは、ドイツは敗北し現体制も崩壊すると確信しています。世界観の異なる二人の主張はかみ合うはずがありません。

「なぜ若いのに誤った信念のために危険を冒す?」
「良心があるからよ」

 良心にもとづいて行動したゾフィーの言葉を聞いているうちに、モーアは哀れみの感情をもつようになります。モーアは「信念を曲げるのなら命だけは助けてやる」とまで申し出ますが、ゾフィーは断固拒否します。

 逮捕からわずか4日後、短時間の裁判で死刑が決まり、その日のうちに執行されました。こうしてゾフィーは、21歳にして短い生涯を閉じたのです。いくら内容が過激だったとはいえ、ビラまきくらいで死刑とは驚きですね。いかにナチが反体制運動を恐れていたのかがわかります。

 同じような時期に公開された「ヒトラー 〜最後の12日間〜」とよく比較されますが、同じ世代の主人公二人、ヒトラーの秘書だったユンゲとヒトラー打倒を訴えたゾフィーの人間としての大きさの違いもあって、私は「白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々」の方がおすすめです。でも、両方とも観ると一層深く味わえるのではないかと思います。

Geschwister-Scholl-Platz

 ハンスとゾフィーがビラを配る前に横切ったミュンヘン大学の広場は、今ではショル兄妹にちなんで「Geschwister-Scholl-Platz」という名で呼ばれているそうです。

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まいじょ * 映画 * 19:43 * comments(9) * trackbacks(30)

セントラル・ステーション

 父親探しの旅に出る少年と、同行する熟年女性の心の交流を描いたロードムービーで、ブラジルのウォルター・サレス監督のデビュー作です。この映画は、ロバート・レッドフォードが主催するサンダンス・インスティテュートとNHKの協賛による新人監督の登竜門「シネマ100・サンダンス国際賞」の支援で制作されたそうです。

セントラル・ステーション

 リオデジャネイロの中央駅で代筆業を営むドーラ(フェルナンダ・モンテネグロ)は、まったくひどい婆さんで、客から預かった手紙をほとんど投函せずに捨ててしまうような、ズルイ女です。客から問いただされても、ふてぶてしくごまかします。
「手紙は本当に着いているのか」
「この国の郵便は信頼できないし、引っ越したのかも」
「なるほど」

 そこに客として現れたのが、10歳くらいの少年ジョズエ(ヴィニシウス・デ・オリヴェイラ)を連れた母親で、田舎に離れて暮らす夫への手紙をドーラに託します。しかし、その母親はまもなく駅前で交通事故で亡くなり、ジョズエは身寄りのない、ストリート・チルドレンとなってしまいます。

 ある日、駅構内の売店から商品を盗んで逃げた若者が、捕まえた警官によってその場で射殺されるというショッキングな事件が起きます。それをサレス監督は、まったく説明抜きで、ごくありふれた日常として淡々と描くのです。でも、この事件がジョズエの行く末を暗示するようで、何だかとても心配になりました。

 ブラジルでは、ストリート・チルドレンは、およそ人間としての扱いをうけておらず、1993年の「カンデラリア虐殺事件」のような痛ましい事件が起きたこともありますし、2000年には映画「バス174」に描かれたようなストリート・チルドレンによる事件も起きています。



 ドーラはジョズエを怪しい組織に託して法外の報酬を受け取ります。でも、どうもそれが臓器目当てにストリート・チルドレンを商品として扱う児童売買の闇組織らしいと聞いて、自責の念からジョズエを救い出します。こうしてドーラは、行きがかり上しかたなくジョズエを父親の元に連れて行くことになりました。

 それで少年と熟年女性の珍道中が始まるのですが、ブラジルはあんなに広い国なのに長距離の移動はバスなんですね。途中のドライブインで出会ったトラック運転手の初老の男にドーラは老いらくの恋をし、慣れない口紅までつけてせまりますが、あっさりとふられてしまいます。涙を流す姿は醜いですが、誰しもシンパシーを感じるところです。

フェルナンダ・モンテネグロ

 そんなドーラを優しくいたわるのが、少年ジョズエでした。年の割りに利発だとは思っていましたが、まさかあれほど上手になぐさめるとは。二人が互いに心を通わすのはそれからです。相手の悲しみや痛みにシンパシーを感じるかどうか、人間のつきあいって、これにつきるのではないでしょうか。

 音楽を担当した一人、ジャキス・モレレンバウムは、晩年のアントニオ・カルロス・ジョビンのファミリーバンド「バンダ・ノヴァ」のメンバーのチェリストで、奥さんのボーカリスト、パウラ・モレレンバウムとともに、坂本龍一と3人で結成したユニット「Morelenbaum2/Sakamoto」でも魅力的なパフォーマンスをしている人です。淡々として余計な説明のないこの映画で、音楽も少し控えめながら、とても重要な役割をしています。 
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まいじょ * 映画 * 00:30 * comments(13) * trackbacks(10)
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