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2020.03.24 Tuesday
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張藝謀は、自己表現できずに耐える1920年代の菊豆に、原題の中国人の姿を重ね合わせて描いた。「今日の中国がいまのようになってしまった根源がこの映画のなかでに描かれている」とインタビューに答えている。揚家の伝統的な規則にすべてを縛られていて、虐待されて息もできないなかで、菊豆は反抗する形で不倫を犯す。しかし、成長したわが子によってすべてを奪われてしまうのだ。“因果応報”を描きたかったという張藝謀だが、反抗し自己主張した結果、少しでも救いがあったら−−と思うのだが、アメリカ映画のように救いを描けないほど、中国の過去と現実は袋小路に入りこんでしまっているということなのか。
(石子順『中国映画の明星 女優篇』)
「君は彼のひと言に負けた。“お願いだ”。でも僕は精一杯やった。誇りに思うよ。僕がいたから君は彼と結婚を決意した。僕の役回りはキューピッドだ」
「I am old! I am old! I am old! I am old!」
「スローガンは間違ってるが手段は平和的だ」
「じゃ なぜ罰するの?」
「法があるからだよ。法がなければ秩序はない」
「あなたの言う法は、ナチ政権誕生前の言論の自由を守る法よ。今は自由に発言すると投獄か死刑だわ。これが秩序?」
「では法律のほかに何に頼れというのだ?」
「良心よ」
「なぜ若いのに誤った信念のために危険を冒す?」
「良心があるからよ」
「手紙は本当に着いているのか」
「この国の郵便は信頼できないし、引っ越したのかも」
「なるほど」