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2020.03.24 Tuesday
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「映画は人気あるけど、登場人物はみんな退屈。ただのパントマイムよ」
「僕のは演技じゃないってこと?」
「そうよ。舞台の演技は優れたセリフまわしと荘厳な言葉...。舞台俳優は尊敬される仕事よ。でもあなたは、フィルムに映るただの影。中身なんてない」
雨に唄えば それだけで
最高の気分 ハッピーになれる
空を覆う暗い雲を 笑い飛ばそう
心に太陽が輝き 恋が始まる
雲がわきあがり 道からみんな追い払う
どんなに降っても 僕は笑顔のまま
陽気に唄いながら 街を歩こう
どしゃ降りの中を 唄いながら
「皆待って。この酒造りはやめるわけにはいかないわ。皆の手助けがないとやれません。私は皆と同じ貧乏人よ。おかみさんと呼ぶはやめて。酒造りに上下はないわ。」
「あなたが奪ったのよ、私の皇帝も国も国民も、私の全てを。でもこれ以上は許さない」
「国民は奪えないわ。1億人だろうと、たった1人だろうと。彼らを愛していなければね」
「イタリアでは...約5,800万人の人口に対してスクリーン数約6,400。日本の約2,900に比べ圧倒的に豊富な映画施設...小さな町でも教会の隣などに映画館があり、社交場にもなっている」(『朝日新聞』2006年9月11日付夕刊「アモーレ!チネマ」)
「これはお前のやるべき仕事ではない。お前には他の仕事が待ってる。別の仕事だ。重要な仕事だ」
「帰って来るな。私たちを忘れろ。手紙も書くな。郷愁(ノスタルジー)に惑わされるな。」
「お前に電話するといつもちがう女性が出る。でもお前を心から愛してる声をまだ聞いてない。聞けば私には分かる。お前がだれかを愛して落ち着いてくれれば嬉しいよ。」
バーグマンは写真集のインタビューで、「結末が分からないまま撮影してて、ラズロと一緒になるのかリックと一緒になるのかシナリオができていなかった」と言っているんですね。演技プランが立たないから、二人のうちどっちを好きなのか、監督にしきりに結末を聞いたんだけど、監督も分からないから中間で演じてくれと言われて嫌だったって。結局、ラズロと一緒に行くバージョンを撮ったら、これしかないということになって、もう一つは撮らなかったんだそうです。でも『ギネス・ブック・オブ・ムービー・ファクツ・アンド・フィーツ』という本には、「『カサブランカ』は結末までシナリオが書かれないまま撮影したというのが俗説になっているけど、実はそうではない。ちゃんと書かれていたけど、監督はわざとバーグマンには教えなかった」って書いてありました。(和田誠ほか『これもまた別な話』)
「昨日はどこにいたの?」
「そんな昔のことは覚えていない」
「今夜会える?」
「そんなに先のことは分からない」
「俺は嫌な男だろ。お情けでくれた水にも草をふりかけられた」
「大した考えね。どうかしてるわ。あんなにのど渇いて急に飲めば、内蔵がアウトでしょ」
『タイタニック』を観て特撮技術の進歩を語る、なんてことなら誰でもできるけれど、『タイタニック』をきっかけに古今東西の海難映画を洗いざらい思い出して、ああでもないこうでもないと何時間もしゃべるとすれば、それぞれが相当数多く映画を観ていなくてはなりません。しかも評判になった作品ばかりでなく、映画史に残りそうにない映画も観ている必要がある。三人はその条件を満たしていた。少なくとも補い合うことができた。
(「まえがき」和田誠)
『タイタニック』を見て“ケイト・ウィンスレットはデブだ”みたいな話は、われわれはしない。和田さんが、『タイタニック』といえばケネス・モアの出た『SOSタイタニック』があったなあと、五〇年代のイギリス映画を思い出す。ミステリ好きの瀬戸川さんが、あの映画の脚本を書いたのはエリック・アンブラーですとすぐに応じる。そして話は、海洋パニックものへと広がり、いまや忘れられたアンドリュー・L・ストーンの『最後の航海』のことになる。
(「あとがき」川本三郎)