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ヒトラー 〜最後の12日間〜

 陥落寸前のベルリンで、地下要塞に潜んだヒトラーを中心とするナチス中枢にいた人々の極限状況を描いた歴史ドキュメンタリーです。
ヒトラーとシュペーア
 ヒトラーの建築家シュペーアも、別れの挨拶にヒトラーを訪ねます。頑強に降伏を拒むヒトラーに対し、国民を巻き添えにするのだけはやめてくれとシュペーアは頼みます。ところがヒトラーの答えはこうです。
「わが国民が試練に負けても私は涙など流さん。それに値しない。彼らが選んだ運命だ。自業自得だろう」

 原作は「ヒトラー 〜最後の12日間」(ヨアヒム・フェスト)と「私はヒトラーの秘書だった」(トラウドゥル・ユンゲ)の二つ。
 「ヒトラー 〜最後の12日間」の著者で歴史家のフェストは次のように語ります。
「ヒトラーが自国民に課した厳しい試練を彼らが乗り越えられなければ、彼は自国民を見限り容赦なく滅ぼすだろう。失望したヒトラーの憎悪は自国民に向けられる。これは逆説的で信じがたい状況だ。ヒトラーが考えていたのは2つの民族の絶滅かもしれない。その1つがユダヤ人なのは周知の事実だが、もう片方はドイツ人だ。」

ヒトラー
 「私はヒトラーの秘書だった」の著者のユンゲにスポットライトを当てたことにより、彼女の目からみたヒトラーを等身大に描くことに成功したのだと思います。エンドロールの前に、老人となったユンゲを登場させ、映画のリアリティを高めるとともに、重要な告白を引き出します。
「ニュルンベルク裁判で恐ろしい話は聞きました。600万人のユダヤ人や人種の違う人々が無残に殺されたと...。これらの事実は大変ショックでした。でも私はそれを自分と結びつけられず、安心していたのです。“自分に非はない”“私は何も知らなかった”そう考えていました。でもある日、犠牲者の銘板を見たのです。ゾフィー・ショル。彼女の人生が記されていました。私と同じ年に生まれ、私が総統秘書になった年に処刑されたと。その時私は気づきました。若かったというのは言い訳にならない。目を見開いていれば気づけたのだと。」

 80を超えた歳になってなお反省する彼女を責めることができるでしょうか。同じような告白をシュペーアもしていますが、大臣という枢要な地位にいたシュペーアと秘書のユンゲとは、知りえた範囲も責任の重みもまったく異なるはずです。
 ユンゲの聡明さと人間性やバイタリティーは、この映画の救いです。特にラストシーンで、ユンゲと少年が自転車で旅立つところは、私たち日本人が共感するところです。ヒトラーが見棄てた人々が力強く立ち上がっていこうとする意欲が感じられます。
ユンゲと少年
 タブーを破り、ようやくこのような映画を作れるようになったドイツと、選挙で首相の愚行を咎めることさえしなかった日本の、戦犯や戦争責任に対する認識の違いをあらためて思い知らされました。
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まいじょ * 映画 * 23:32 * comments(14) * trackbacks(23)

七年目の浮気

 この映画でマリリン・モンローが地下鉄の換気口の上に立ち、スカートが吹き上げられるシーンはあまりにも有名です。

七年目の浮気

 ビリー・ワイルダー監督は、このシーンを撮影した時のことをよく覚えています。
スタッフがもめたんだ。誰が通風口のシャフトの中に入って送風機のスイッチをひねるかで。

 夏休みで奥さんや子供たちが避暑地に出かけた留守に、都会に残された男たちはつかの間の自由を満喫しようとします。そんな中で、結婚して7年目の真面目人間トム・イーウェルが、マリリン・モンローの妖艶さに屈するかどうかの葛藤を描いたコメディです。

 音楽は、アルフレッド・ニューマンラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を実に効果的に使っています。この曲は、ラフマニノフが交響曲第1番の失敗ですっかり落ち込んだとき、精神科医ニコライ・ダールによって「あなたは素晴らしいピアノ協奏曲を作る」という暗示療法を受けたことにより心機一転して作曲したものだそうです。確かこの曲は「逢びき」(1945)でも使われていました。

 監督は、「逢びき」からよほど強いインパクトを受けていたのでしょう。知人のアパートで逢びきするという設定は「アパートの鍵貸します」に、ラフマニノフの音楽は「七年目の浮気」に結実しています。音楽があまりにぴったりなので、わざわざこの映画のために作ったのかと思えるくらいです。

 ワイルダー監督は、オリジナルの舞台でトム・イーウェルが演じた役を本当は無名の新人ウォルター・マッソーにやらせたかったようです。でも古巣のパラマウントなら多少の無理は通っていたかもしれませんが、出向先のフォックスでは安全策をとろうとする会社の方針に逆らえませんでした。
JUGEMテーマ:名画


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まいじょ * 映画 * 23:12 * comments(5) * trackbacks(5)

愛猫トム、逝く

 昨13日金曜日夜、7年間飼っていた愛猫トム(アメリカン・ショートヘア)が逝去しました。享年10歳。直接の死因は腹部にできた悪性腫瘍だと考えられますが、慢性腎不全も悪化しつつあったようです。
トム7歳
 以前は丸々と太ったデブ猫だったのですが、昨年の暮れ頃から急に元気がなくなり、食欲も衰え、体重はピーク時の半分近くまでに落ちていました。今年になってからは数日おきに点滴を打ちに医者に連れて行っていたのですが、病には克てなかったようです。

見上げるトム

 昨晩はフォーレのレクイエムをかけて、トムの魂が天に昇っていくのを見送りました。この曲、レクイエムの中では最高だと思います。

 トムは、3歳で私のところに来るまで別の名前だったのですが、私が改名しました。名前は、ボサノヴァを創った男、トム・ジョビン(アントニオ・カルロス・ジョビン)から、もらったものです。そういえば、音楽家のトムは腹部の悪性腫瘍の手術が原因で亡くなりましたが、猫のトムも同じような病気で亡くなるとは...

 今まで日常にいたトムの不在、この喪失感をサウダージというのでしょうか。

トムとパソコン

 トムと暮らしてきたおかげで、私たち家族はどれだけ癒され、なぐさめられたことか。仕事や食事を邪魔された思い出も、今は懐かしく思い出されます。

 トム、ありがとう。安らかに眠ってください。
まいじょ * ノンセクション * 23:59 * comments(5) * trackbacks(2)

お熱いのがお好き

 ビリー・ワイルダー監督は、「七年目の浮気」(1955)を撮り終えたあと、「モンローとは二度と仕事はしない」と宣言しました。でも4年後、この映画の台本を読んでマリリン・モンローが出たいと言うのを聞いたときは、たいそう喜んだそうです。

お熱いのがお好き

 当初は、モンローの役をミッチー・ゲイナージャック・レモンの役をフランク・シナトラがやるはずでした。トニー・カーティスは当初から変わりませんが、キャスティングが当初のままであれば、まったく別の映画になっていたでしょう。

 撮影は、モンローの遅刻や、何十回も重ねるNGのために、スタッフも共演者も相当苦労したようです。でも、モンローの悪口をいう人はいません。モンローが、この映画に欠かせないということはみんなわかっていたし、当時の彼女が私生活で相当に苦しんでいることも知れ渡っていたのだと思います。

 映画は冒頭、怪しい霊柩車を追うパトカーとのカーチェイスで始まります。警察の弾を受けた棺からはなぜか液体が漏れ、棺を開けると酒壜が詰まっています。映画の舞台が禁酒法時代のシカゴであることを説明する見事な演出です。

 カーティスとレモンの2人が、ギャングによる殺人を偶然目撃したことから、ギャングに追われる身となります。窮した2人は女性バンドに潜り込んでシカゴから脱出をはかります。カーティスが、電話で女の声色をつかって女性バンドに応募する場面から、いきなり次の場面で2人は女装して駅のホームを歩いています。この切り替えが見事で、驚き、笑ってしまいます。

 カーティスの女装はなかなかきれいで今で言えばニューハーフ風なのに対し、レモンのそれはどうみても出来そこないのオカマです。

 カーティスとモンローが豪華なヨットの中で繰り広げるラブシーンが、この映画の最大の見せ場です。たぶん、当時の審査で通るすれすれのところしょうが、モンローが猛烈なアタックをかけているのに、いやらしく見えないのは不思議ですね。

 ラストシーン。不細工な女装のレモンと、彼女に求婚する富豪のジョー・E・ブラウンとの会話です。
「あなたとは結婚できないわ」
「なぜ」
「本物の金髪じゃないのよ」
「構わん」
「タバコも吸うわ」
「いいよ」
「サックス奏者と3年も暮らしてるわ」
「許すよ」
「子供が産めないわ」
「もらうさ」
「わかんないのね...ほら、オレは男なんだ」
「完璧な人間はいない」

 最後のひと言が効いています。
お熱いのがお好きending
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まいじょ * 映画 * 23:48 * comments(8) * trackbacks(14)

和田誠「シネマ今昔問答」

 あけましておめでとうございます。

 年末年始の小旅行の道中で、和田誠さんの「シネマ今昔問答」を読みました。

和田誠「シネマ今昔問答」

 当サイトの名前「お楽しみはこれから!」は、和田誠さんの「お楽しみはこれからだ」からいただいたものですが、さらにその元をたどるとアメリカの歌手アル・ジョルスンの伝記映画「ジョルスン物語」(1947)の中のセリフであり、「お楽しみはこれからだ」はジョルスンの決まり文句だったようです。
 原文は You ain't heard nothin' yet! 、直訳すると「あなたたちはまだ何も聞いていない」となりますが、高瀬鎮男さんの上手な意訳で「お楽しみはこれからだ」となったのだそうです。「シネマ今昔問答」のおかげで、自分のサイト名の由来を大元までたどることができました。
 なお、「ジョルスン物語」は、アメリカではそれより数年前に公開された「風と共に去りぬ」(1939)をしのぐ大ヒットになったそうです。

 「シネマ今昔問答」はクラシックから最近の映画まで幅広く取り上げられており、他にもいくつか面白いことがあったので、ここでは二つだけ書いておきます。

 「第十七捕虜収容所」で、ロバート・ストラウスが演じる兵隊がある女優の猛烈なファンを演じていました。その女優の名前はベティ・グレイブル。1940年代に突然人気が出て、戦時中、脚線美女優としてGIたちに大いに受けていたのだそうです。

 映画になる前の舞台版「マイ・フェア・レディ」は、ジュリー・アンドリュースが主役のイライザをやっていました。映画「マイ・フェア・レディ」では、ヒギンズ教授のレックス・ハリスンと、イライザの父親役スターリング・ハロウェイは舞台キャストを使ったのに、イライザはオードリー・ヘップバーンとなり、歌はもちろん吹き替えとなりました。
 ジュリー・アンドリュースは、
「それがハリウッドのシステムだから仕方がなかったんです」

と語っていますが、本当は口惜しかったことでしょう。
 でも「マイ・フェア・レディ」と同じ年に映画初出演のジュリー・アンドリュースは「メリー・ポピンズ」でアカデミー賞を取っており、レックス・ハリスンは「マイ・フェア・レディ」で取ったそうです。
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まいじょ * * 19:00 * comments(4) * trackbacks(3)
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