エリア・カザン監督が、
反ユダヤ主義(ユダヤ人差別)の本質を鋭く描いた社会派ドラマです。
グレゴリー・ペックは、ライターで、反ユダヤ主義を暴く記事を一流雑誌から依頼されました。この難しいテーマにどう切り込むかでさんざん迷ったグレゴリー・ペックは、自分がユダヤ人だと装うことによりどういうことが起こるかを身をもって体験することにしました。
彼は、原稿を依頼した出版社社長の姪で、反ユダヤ主義を記事にする発案者でもある離婚経験をもつ女性(
ドロシー・マクガイア)と出会ってまもなく恋におちいり、婚約します。
でも当時のアメリカの反ユダヤ主義は今からは考えられないほどひどいもので、ユダヤ人は一流ホテルには泊まることもできず、たとえ金があっても高級住宅地からは排斥されていました。
上流階級出身のマクガイアは、頭では反ユダヤ主義に反対しながら、婚約者がユダヤ人を装うことによって自分や家族にもたらす悪影響を憂慮します。彼女はペックの行動を抑制しようとしますが、ペックはそんな彼女を反ユダヤ主義と同様だと非難して、ついに婚約は破棄となります。
ペックに未練のあるマクガイアは、ペックの親友で本物のユダヤ人の
ジョン・ガーフィールドにペックの自分に対する非難がいかに不当であるかを訴え、その証拠として、自分が出席したパーティーでのエピソードを話します。パーティーの席で、ゲストの一人が反ユダヤ主義的な中傷の言葉をふと漏らしたのに対し、彼女がいかに憤りと怒りを感じたかを訴えるのです。
「それで、君はどうしたんだ?」
「私、あの男を軽蔑したわ。同席している人皆があの男を軽蔑したわ」
「それで、その男が言い終わったとき、君はなんて言った?」
「席を立って出て行きたかったわ。同席している人たちにはこう言いたかった。『私たち、どうしてここに座って、こんなことを許しているんでしょう?』って」
「で、その後、君はどうした?」
「そこに座っていたわ。みんな、座っていただけ。ディナーが終わってから、私気分が悪いんで失礼しますって言ったけど。それは本当だったの。今でも、全身がむかつく感じよ」
「もしも、君がその男にぴしゃりといってやったら、今でもそんなに気分が悪いだろうか?」
このやりとりを通じて、マクガイアは悔い改め、ペックは許しを与えます。こうしてヒーローとヒロインは再び結ばれ、前にもまして深く愛し合うことになります。
善良な意図でつくられた、とてもよくできた映画だと思います。でも、完全無欠なペックに対して、マクガイアはあまりにも俗物として描かれているところがどうも納得いきません。この二人がこの先うまくいくとはどうしても思えないのです。むしろ、ペックに横恋慕する元祖キャリア・ウーマンの
セレステ・ホルムの方が、よっぽどお似合いだと思います。また映画全体の印象としても、何だか鼻持ちならないものを感じます。
エリア・カザンもやや自嘲気味に言っています。
「この映画には上から見下ろす視点がある。この人たちには理解という恩恵が必要だと勝手に決め込んで、それを施しているようなものだ。貴人の義務(ノブレス・オブリージ)というやつだ。」
(「エリア・カザン自伝」(上))