The Fellowship
フランク・ロイド・ライト [DVD]
エドガー・ターフエル(ライトの弟子)
いつも「ライトさん(Mr. Wright)」と呼んだ。誰もがそう呼んだ。ライト夫人も「フランクが…(Frank said so ...)」ではなく、「ライトさんが…(Mr. Wright said so ...)」と我々に言っていた。彼をフランクと呼ぶ人はとても少なかった。
ナレーション
20年来の家庭内騒動も終わり、ライトは腰を落ち着けた。3人目の妻オルギヴァンナは神秘主義を崇拝するしっかりとした女性だった。困難に直面しながらも、彼女は夫の才能を信じ続けた。
タリアセンのライトとオルギヴァンナ
ティム・ライト(ライトの孫)
とても知的で魅力的な女性だった。ライトと同じレベルで議論できる数少ない人の1人だった。彼もそれを受け入れた。その点では私の実の祖母は対等ではなかった。
ナレーション
彼の名前を売り、新しい顧客を獲得するため、彼女は夫に講演をさせた。そして建築に関する記事と自伝の執筆も勧めた。
ニール・レヴァイン(建築史家)
ライトの名前を売るために自伝は重要な役割を果たした。彼は自分が偉大な建築家だと示そうとした。自分は人間性のすべてを理解できる人間で、景観を知り、顧客の要求を満たす建築家だとね。自伝を読んだ人は必ず自分の家のデザインをライトに頼みたくなる。
ポール・ゴールドベルガー(建築評論家)
彼は自分の伝説を巧妙に作り上げていった。ライトの最高傑作の1つはその人生の物語だろう。芸術家精神を丹念に積み上げた一種の作品だとも言える。建築物みたいなものだ。
ライト
ナレーション
1932年、生活費を稼ぐためにオルギヴァンナは弟子を取ることを提案、それがタリアセン・フェローシップだった。熱心な弟子は尊敬するライトと共に生活し働くために、年間650ドルを払って、ライトのもとに集まった。タリアセンを自給自足の共同体にするため、弟子には1日4時間の肉体労働が要求された。
エドガー・ターフエル(ライトの弟子)
ライトには学生としての経験がなかった。大学には1年しか行ってないからね。30人が集まったものの、計画は何もない。
エリック・ロイド・ライト(ライトの孫)
祖父は腕のいい製図家を嫌った。彼らは図面しか描かないくせに、文句ばかりつけるからなんだ。若者は熱心だった。祖父の考えに対し否定的な意見などなかった。あったのは賞賛だけだ。
ティム・ライト(ライトの孫)
みんながライトは天才だと信じていたと思う。この天才と接触しながら自分の作品が形として残るんだ。そこには他では味わえない知的な興奮があった。どんな学校とも比較にならないほどの刺激だ。
タリアセン・フェローシップ
ナレーション
ライトの指示のもと弟子は作業を行った。新しく建てたり改築した。間違った建築教育だと批判もされた。タリアセンは現代のプランテーションで、弟子は主人の命令で働く奴隷だと言われた。しかしライトは実践が重要だと主張した。
タリアセンの作業
ブレンダン・ギル(作家)
彼が呼吸するのを見るだけで最高の経験だったはずだ。本物の天才は何も教えない。その存在がすべてなんだ。同じ場所にいて彼の声を聞き彼の説教を聞けるだけでとても幸運だった。
ティム・ライト(ライトの孫)
料理をしたり掃除をすることも重要だった。もちろん農作業も大切な仕事の1つだった。土曜日の夜に作曲することや演劇や詩の朗読も大事なことだった。図面を引くことと同様に祖父には重要だったんだ。
メリル・セクレスト(伝記作家)
朝7時から夜10時まで働いていたけど、みんな幸せだった。ライトの頭の中には共同生活の計画あったんだと思う。でも実現不可能なものだった。彼はシンプルな農場生活を熱心に提案していたけど、そんな生活は彼には無理だったんだと思う。彼は望み通り集団のトップだった。広大な農地もあったし、作業する人も大勢いた。ライトには素敵な家があり、娘にも部屋があった。食事は貴賓用の壇の上で取っていた。他の人よりも高い場所でね。土曜の夜にはコンサートを開いたりして、他の人々との格の違いを楽しんだ。少し高い位置から。
ヒルサイドのサロン
週末には音楽会が開かれた。ライト夫妻は一段高い段でくつろいでいる
エリック・ロイド・ライト(ライトの孫)
妻のオルギヴァンナが、食事の献立や作業中の音楽などすべてを決めた。弟子の靴下に至るまでだ。彼女の存在は不可欠だった。弟子の生活の面倒を見てくれた。祖父にはその手の問題に関わっている余裕はなかった。やりたいことの邪魔ですらあったはずだ。だが彼女にとっては違った。
ナレーション
彼女は弟子の私生活も管理した。弟子が付き合う相手選びや結婚の準備や離婚の交渉までも。
エレノア・ペテルセン(ライトの弟子)
気難しい女性だったわ。特に女性には厳しかった。そして最高権力者だった。
ナレーション
彼女のことを「女王蜂」だと言った弟子がいたほどだった。
ライトとオルギヴァンナ
ティム・ライト(ライトの孫)
誰もが祖父と祖母に敬意と恐怖を感じていた。どちらかを怒らせれば暗闇に放り出されるんだ。タリアセンは卒業しても喜べるような学校ではない。卒業とは追放を意味するんだ。それがタリアセンの怖いところだ。卒業は祝福されることではなく、失敗だと見なされた。
ヴィンセント・スカリー(建築史家)
ライトは支配したがった。彼はリーダーでいられる状況を作り出した。自分の支持者に守られる環境だ。彼らは包囲されていると考えていた。「他の世界は間違っていて自分たちは理解されない。正しいのは我々だ」。民主的ではなく独裁的な世界だった。
ナレーション
賑やかな工房とは対称的に62歳のライトのキャリアは終わっていた。革命者として賞賛されたのは1世代前だった。そして「インターナショナル・スタイル」の時代が到来した。ル・コルビュジエ、ウォルター・グロピウス、ミース・ファン・デル・ローエ。第一次世界大戦後から、新しい工業的な建築物が造られ始めた。労働者階級に合わせたものである。それまでの建築は草原住宅(プレイリー・スタイル)の影響を受けていたが、それも変化した。
ル・コルビュジエ
ウォルター・グロピウス
ミース・ファン・デル・ローエ
ウィリアム・クロノン(歴史家)
現代建築家は真の大衆建築を造り出そうとしていたんだ。大衆に広く理解される建築だ。人々のための民主主義を尊重しながら、これからの20世紀を表す空間だ。彼らはあらゆる意味で世界を変えた。彼らはテクノロジーを崇拝し、それを象徴する方法を模索した。古典的な素材である木や石にはあまり興味を示さなかった。ガラスや金属を多用した。現代ヨーロッパ風の建物は柱が細かった。
フィリップ・ジョンソン(建築家)
20世紀を生きたことを誇りに思う。20世紀は機械と産業システムが台頭した新しい時代だ。誰もが機械を信じていた。だがライトは違った。彼は手の作業を重んじた。石を積み上げるのにも手を使っていた。彼とル・コルビュジエと比較するに及ばなかった。彼は終わっていたからだ。
ナレーション
ライトはモダニズムには興味を持たなかった。「家まで機械のように見せる必要はない」と彼は言った。「現代の建築物は深みに欠ける。機械的で気取っていて人工的で魂がない」とも。
サヴォア邸
バウハウス校舎
ウィリアム・クロノン(歴史家)
ライトが嫌ったモダニズムの1つは建築を物理的に捕らえた点だ。ライトにとって建物はもっと精神的なものだった。心や魂に響く深みのある存在なんだ。
フィリップ・ジョンソン(建築家)
彼はよく言っていた。「私は自然と建築を知っているだけだ」とね。「平面だけで考えるような建築家が多い」とも言っていた。確かに彼の言うことは事実に近かった。
ナレーション
1932年、ニューヨーク近代美術館からインターナショナル・スタイル展への参加依頼が来た。しかしキュレーターで建築評論家のフィリップ・ジョンソンは「ライトは死んだ」と皮肉を込めて言った。
フィリップ・ジョンソン(建築家)
私はひどい失言をした。「ライトは19世紀の偉大な建築家だ」とね。もちろん侮辱として解釈されたよ。
ナレーション
インターナショナル・スタイルの台頭と自らの陰りを感じ、彼のストレスは増大した。作業机の周りを飛ぶハエに名前を付けたりもした。ミース、グロピウス、コルビュジエ…。そして退治した。
ウィリアム・クロノン(歴史家)
最先端の建築家ではないと認識したんだ。若手のヨーロッパ建築家は彼にできなかった建物を造っていたからね。しかしライトはそれに挑戦し自分自身を完全に立て直した。