<< August 2018 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
<< ライト(4)ママー | main | ライト(6) 白昼夢の中の我が主よ >>

ライト(5) 輝ける額

Shining Brow

巨匠建築家 フランク・ロイド・ライト.jpg
フランク・ロイド・ライト [DVD]


メリル・セクレスト(伝記作家)
メリル・セクレスト.jpg
 ライトは自分が他より優れた人間であると信じた。誰もが想像的な芸術家として彼を認めるようになると、伝統や道徳の枠を外れるようになったの。

ナレーション
 1910年、ライトはオークパークに戻った。手紙を通じて戻るように懇願した子供たちに会うために。
 ママーはヨーロッパに残った。やり直したいと望むキティの元へは戻ることなく、彼はスプリング・グリーンに家を建て始めていた。家の名は「タリアセン」、ウェールズ語で「輝ける額」。表向きは母親のための家だった。だが、実際はママーと暮らすために建てていた。

タリアセン.jpg
タリアセン(輝ける額)

エリック・ロイド・ライト(ライトの孫)
エリック・ロイド・ライト.jpg
 祖父はオークパークやシカゴでは暮らせなかったため、新たに避難場所を探す必要があった。そこで祖先のロイド・ジョーンズ家伝来の土地に戻り、小高い丘に素晴らしいタリアセンを建てた。

ナレーション
 タリアセンはイタリアの大邸宅の影響を受けていた。しかし独特な曲線や大地との一体感は彼独自のものだった。
 外壁や煙突には近くで採れた石灰石を使用した。ウィスコンシン州の砂で作ったプラスターで内壁を覆い、杉でできた屋根板は夕暮れ時の幹と同じ色だった。ライトは土地との一体化を望んだ。彼の家は地元の木や岩からできており、丘の一部となった。

タリアセン3.jpg
タリアセン

 彼にとってこの家は聖地だった。そこでは精神と魂が一体化する。自然と人間の精神と魂が融合する場所だ。彼にとって神聖な場所だったんだ。

ブレンダン・ギル(作家)
ブレンダン・ギル.jpg
 ライトは自宅を彼が持つ感情や精神、そして技術への信念を反映する縮図にしたかった。だからあの美しく広々とした大地を這うような家を建てた。世界に向けた声明だったんだ。ライトは借金を返せず、何度もあの家を手放した。その度に取り返す方法を思いついた。周囲をだましたり、巧みに操ったりして、死ぬまであの家にしがみついた。

タリアセン2.jpg
タリアセン

 あの家は昔も今もまさに驚異だよ。タリアセンはライトが手掛けた最も重要な建物だと思う。ライトが最も力を注いだ作品だ。労力の面だけではなく、建築について時間をかけてあれこれ考えた。

ナレーション
 タリアセンは有機的建築を完ぺきに体現したものだった。ママーとライトはタリアセンで3年暮らした。彼女は本を書き、子供たちの訪問を楽しみにしていた。
 彼は子供との関係修復を図り、スキャンダルで失った事務所の再建に奮闘した。ライトはミッドウェイ・ガーデンの仕事を受注した。シカゴの南区画をヨーロッパ風庭園に変える仕事だった。ライトは息子の協力を受け建設に没頭した。週末には愛人の待つタリアセンに戻った。

ミッドウェイ・ガーデン.jpg
ミッドウェイ・ガーデン

メリル・セクレスト(伝記作家)
 1914年8月、ライトはシカゴでミッドウェイ・ガーデンを手掛けていた。ママーはタリアセンに残っていた。彼女は息子と娘と一緒に週末を過ごしていたの。数名の職人もいて、ある日みんなで食事をしていたら、とても恐ろしい事件が起きたの。ライトの人生で最大の悲劇だと言えるわね。

ナレーション
 ライトはジュリアン・カールトンを執事として雇い、その妻は料理の担当だった。未だに真相は謎だが、問題が発生し、ママーが夫妻を解雇した。

メリル・セクレスト(伝記作家)
 土曜の昼食の配膳が最後の仕事だった。カールトンはいつも通り昼食の配膳をした。そしてガソリンを使って絨毯を洗う承諾を得た。彼は家の外に出て、絨毯ではなく、窓やドアにガソリンをまいた。

ナレーション
 ママーたちが昼食を食べている間に、カールトンは1カ所を除くドアと窓をふさぎ、ガソリンに点火した。一瞬にして家は炎に包まれた。逃げ出そうとする者をカールトンは斧で殺した。

メリル・セクレスト(伝記作家)
 一瞬の出来事だった。彼はママーと彼女の息子の頭を斧で切り裂いて殺したの。娘のことも襲った。人々は泣き叫んでいた。窓から飛び降りる人もいたわ。飛び降り、炎に包まれて地面を転げ回る人や、斧で切り刻まれた人もいた。

ナレーション
 ライトはシカゴでこの惨事を知った。

メリル・セクレスト(伝記作家)
 ライトは電話口に呼び出された。戻ってきた彼に息子のジョンが「誰から?」と聞くと、答えが返ってこないのでライトの方を見たのよ。ライトは机でよろめいてまさに顔面蒼白だった。9人のうち7人が死亡か危篤状態だった。

ナレーション
 葬儀業者が愛する女性に触れることを拒んだライトは、大工に木の棺を作らせた。正式な葬式もなかった。棺は農場の地味な荷馬車に乗せられ花で覆われた。長男と2人のいとこの協力で、教会裏の小さな墓地に埋葬した。「自らの手で彼女を埋めたかった。ママーの埋葬場所に墓石はない。悲しみの終点と始点に印をつける必要はない。」

タリアセン4.jpg
焼けたタリアセン

メリル・セクレスト(伝記作家)
 ママーと死別したライトがそうであったように、死別した相手のことは美化してしまう。もしママーが生きていたら、ライトの人生は全く別のものになっていたかもしれない。彼女はきっとライトを安定させたわ。彼は彼女を忘れなかった。

ナレーション
 「行動が苦悩からの解放だ」とライトは記している。彼は仕事に没頭することで自らを慰めた。ミッドウェイ・ガーデンを完成させ、焼け跡にタリアセンを再建した。新たな契約の獲得を試みた。

仕事に没頭するライト.jpg
仕事に没頭するライト

ブレンダン・ギル(作家)
 彼はずっと苦しみ続けるタイプではなかった。ライトは立ち直った。悲劇がもたらした困難から見事に復活し、人生をやり直した。

ナレーション
 1916年、ライトは日本へ渡航した。それまでにない大規模な建設を手掛けるためである。天皇は東京に西洋風で巨大なホテルの建設を命じた。海外投資家を引き寄せるためである。日本の芸術や文化を愛好したライトは、奮闘の末に建設を受注した。設計や建設工事の監督のために6年間を東京で過ごした。ライトは帝国ホテルの仕事をどうしてもやりたかった。海外の主要な建設を受注するのも、あれ程の規模の建物も初めてだった。広大なホテルは285の客室を収容し、400万ドル以上をかけて建てられた。ライトは文房具から皿まですべてをデザインした。

帝国ホテル.jpg
帝国ホテル

ポール・ゴールドベルガー(建築評論家)
ポール・ゴールドベルガー.jpg
 ライトは美しく見事な建物の創造者であると同時に優秀な技術者だった。技術者の観点から興味深いことを成し遂げた。建築は芸術であると同時に築き造ることであると考えた。

ナレーション
 石の彫り物を施された帝国ホテルは、20世紀最後の手細工で作られた建物だった。日本の依頼人は完成した帝国ホテルに大満足した。しかし間もなく関東大地震が東京を襲った。アメリカにいたライトは帝国ホテルの被害を心配した。

帝国ホテル4.jpg  帝国ホテル3.jpg

帝国ホテル2.jpg  帝国ホテル1.jpg
帝国ホテル

遠藤新の手紙
 「1923年9月8日 ライト様へ。1回目の地震で多くの建物が崩壊し、2回目の地震で被害は更に広がりました。建物からは炎が上がり、衝撃を生き延び、避難場所を求めてさまよう人々は、煙や焼けつく熱気で死にました。死者は10万人以上に上ります。鉄骨の建物も崩れ去り、わが国の建築家の無能さが表面化しました。東京中ががれきの山と化す中、帝国ホテルは建っています。あなたに栄光あれ! 遠藤新より」

ナレーション
 残った建物は多くありましたが、帝国ホテルのみが助かったとライトは吹聴しました。ライトは技術者としても天才ぶりを発揮したのです。
まいじょ * ドキュメンタリー * 09:26 * comments(0) * trackbacks(0)

コメント

コメントする









トラックバック

このページの先頭へ