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ライト(4)ママー

Mamah

巨匠建築家 フランク・ロイド・ライト.jpg
フランク・ロイド・ライト [DVD]


エリック・ロイド・ライト(ライトの孫)
エリック・ロイド・ライト.jpg
 父が言っていたのをよく覚えている。祖父ライトは夜遅くまで仕事をしていたとね。
夜中に事務所から帰ってきてピアノを弾くこともあった。父は昔を振り返り祖父のことをとても懐かしんだ。親子としてもっと親密でありたかったのだろう。家庭円満ではなかったんだろうね。

ナレーション
 1909年、ライトはすべてを手に入れたかに見えた。仕事で成功を収め、快適な家と愛する家族があった。しかし実態は違っていた。仕事は絶えずあったが、どれも小規模なものだった。彼は草原住宅(プレイリー・スタイル)も極めたと感じていた。彼は仕事の方向性を見失い、興味も失い、行き詰まりを感じていた。

ロバート・A・M・スターン(建築家)
ロバート・A・M・スターン.jpg
 一般住宅はパターンが何通りもあるわけではないし、クローゼットについて施工主をなんども打ち合わせなんて誰でも嫌になる。

ナレーション
 家庭もうまくいかず、キティとの仲も冷めていた。ライトは建築家であり、キティの職業は「母親」だった。彼は子育てに忙しいキティに腹を立て、「パパ」と呼ばれることや子供のしつけを拒んだ。子供に仕事を邪魔されると不平を言った。

ライト自邸プレイルーム.jpg
ライト自邸プレイルーム

メリル・セクレスト(伝記作家)
メリル・セクレスト.jpg
 彼は典型的な父親ではなかったわ。家族写真の中のライトはいつも端にいる。彼は父親というより、子供の1人みたいなものだった。母親の愛情を得ようと一生懸命だったの。ライトは本当の意味で父親ではなかったのよ。

ライト家族写真.jpg
家族写真

ナレーション
 彼は述べている。「建物に父性を感じても、子供に対しては感じなかった」と。
 ライトが設計した近所の美しい家には、エドウィン・チェニーと妻のママーが住んでいた。両夫婦は友達同士だったが、ライトとママーの関係は友達以上に発展した。ママーは知的かつ活発で芸術的でもあり、伝統的な母や妻としての役割に不満足だった。

愛人ママー.jpg
愛人ママー

メリル・セクレスト(伝記作家)
 フェミニストで作家だった彼女は郊外に住む平凡な主婦ではなかったの。

ナレーション
 2人はライトのロードスターでデートした。オークパーク中で噂になったが、彼女に夢中だったライトは気に留めなかった。

メリル・セクレスト(伝記作家)
 ライトにとっては彼女を独占できたのがよかったのね。キティは6人の子供の世話で忙しく独占できなかったから、その点ママーは心得ていたわ。

ナレーション
 キティは夫の不貞に気付くが、気付かぬふりをした。2人の関係が長く続かぬことを願ったが、願いは届かなかった。1908年の夏、ライトは離婚を切り出した。キティは応じなかった。1年後、彼は再び離婚を切り出した。キティは拒み続けた。
 1909年10月、ライトは前ぶれも無く、事務所を閉鎖し、キティと6人の子を捨てた。そして、家族を捨てたママーとヨーロッパに駆け落ちした。ライトの息子デイヴィッドは言う。
「父が去った後請求書だけが残った瓠

妻キャリー.jpg
妻キャリー

デイヴィッド・ライト(ライトの息子)
デイヴィッド・ライト.jpg
 父が家を出た時、食料品店の900ドルを超える高額な請求書が残った。シカゴアベニューの食料品店や肉屋はとても親切にしてくれたよ。

ナレーション
 ライトは家を出た父を許さなかった。しかし42歳のライトは、結婚して20年後に、父親と同じことをした。

エリック・ロイド・ライト(ライトの孫)
 祖父が家を出るとき、家中に緊張感が走った。家を出て行こうとする祖父に父は殴りかかった。とても緊迫した状況だった。

ナレーション
 後にライトはこう記している。「私は未知の世界で自由と人生に対しての信念を試してみたかった瓠廛ティは夫を責めなかった。彼女は「ママーは男たらし」と記者に話した。

デイヴィッド・ライト(ライトの息子)
 母は父を愛していた。だから家を出た後、数年間離婚に応じなかった。戻ってくるのを待っていた。でも父は戻らなかった。

ナレーション
 2人はベルリンを訪問し、仕事のポートフォリオを準備し、イタリアに渡り、建築の歴史を可能な限り吸収した。ライトは1年間の海外生活を「自発的追放」と表現した。
まいじょ * ドキュメンタリー * 10:59 * comments(0) * trackbacks(0)

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