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亀山郁夫「あまりにロシア的な。」

 新訳「カラマーゾフの兄弟」の翻訳者として、時の人となっている亀山郁夫先生の、1994〜95年のロシア・東欧滞在経験をもとにした「ロシア的なるもの」をめぐるエッセー集である。

「あまりにロシア的な。」表紙

 この本が書かれた時からさらにさかのぼること10年前の1984年8月、著者はヴォルガ沿岸の町ウリヤノフスクでスパイ容疑をかけられ、拘留されるという忌まわしい事件に遭遇した。取り調べ中に尿意をもよおして著者はトイレに行くが、あまりにロシア的なトイレを見て、そのまま引き返した。そんな抑制のきいた記述の中に、私はかえって壮絶なリアリティを感じる。帰国の船上では二度とソビエトの地は踏むまいと胸に誓ったそうだ。

 この時の体験を、著者は最近のブログで「実存的」(《Cafe Karamazov》2 Interesting Topics (2008.06.12) )という言葉を使った。それほどひどいトラウマだったのだろう。

 著者は「ロシア的なもの」を終始淡々と記述する。ウリヤノフスクで起こったような恐ろしい体験ですら、つとめて冷静に書かれている。この本に描かれたロシア像は、ロシアに深く関わる先生の目を通して描かれたロシアである。通りすがりの観光客では決して気づかないことや、ロシア人の研究者たちと高度な知的コミュニケーションができてこそ、見つかるロシアもあるからこそ、面白いのである。それらも含めてこの本に書かれたことはすべて、亀山郁夫先生個人によるロシア観であることは間違いない。でもほかにどんな方法があるというのだ。

 ロシア的なものを確実に見るには、観察者にはある種の決断が必要なのかもしれない。10日後にロシアに行く私は、本書に引用されたワルター・エンヤミンの言葉とそれに触発された亀山先生の言葉を肝に銘じておこう。
「ロシア滞在は、よそ者にとって非常に正確な試金石となる。……ほかならぬロシアにおいては、決断した者だけが、何かを見ることができる」
 ベンヤミンのこの言葉に私は不意を打たれた。おそらくこの言葉は、国家崩壊を経た今のロシアを訪れるものが、心して聞くべき言葉ではないだろうか。希望に満ちた時代のモスクワの記憶が、混迷を極める現代のそれと重なりあうことはない。だが、急進改革派、共産主義者、民族主義者が主導権争いに明け暮れ、空前の政治的ダッチロールを繰り返すなか、人はどんな誹りを浴びせられようと、一つの物差しを選ばなくてはならない。変貌に変貌を重ねるロシアを、複数の物差しで見ることは不可能であり、その変貌に追いつき、追い越そうとするなら、たちまちのうちに判断停止に陥る。何よりもまず足場を固め、「決断」という、何がしかの精巧なプリズムを手に入れなければならないのだ。

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