チャップリンが、捨て子の赤ちゃんを拾ってしまうところから、物語は始まる。赤ん坊を手放そうとあの手この手を尽くすが、どうしてもうまくいかない。途方に暮れて、路端の排水口をみつめるところで、まるで悪魔のささやきが聞こえるようだ。だが、次の瞬間、神の導きでもあったのか、赤ちゃんの母親の「この子をよろしく」という手紙を読んで、めざめたチャップリン。
男手ひとつで子供を育てたチャップリンの苦労は、ほんのわずかしか語られない。しかし、その子に深い愛情が注がれたことは、成長した子供とチャップリンの貧しくても幸せな、ほのぼのとした生活ぶりを見ればよくわかる。
だが、子供が病気になったことをきっかけに、互いに不可欠の二人の仲は引き裂かれてしまう。ここがこの映画のクライマックス、最も涙をさそうところである。
キリスト教は、この映画に一貫して流れるテーマである。
母親が赤ちゃんを置き去りにしたあと、十字架を背負ったキリスト像が一瞬だけ現れる。罪を負うた彼女は、成功を収めたのち、慈善活動に身をつくす。聖なる母となる。
子供のけんかが発端でチャップリンが暴力沙汰に巻き込まれたとき、聖なる母がけんかの両者をいさめて言う言葉。
人もし 汝の右の頬を打たば 左の頬を出せ
現実から突然移行した、まるで天国のような「夢の国」。天国の門の鍵をあずかるペテロが居眠りをしたために、悪魔がたやすく「夢の国」にはいりこむ。平和に暮らしていた人々をそそのかし、誘惑させ、うぶにさせ、嫉妬させたために、「夢の国」にいさかいが始まる。
初めて観たとき、この「夢の国」のシークエンスは、よけいではないかと思った。だが、ここを省いた場合を想像すると、どうにも収まりが悪いのである。
そもそも、「キッド」に無駄なシーンなどあるはずもない。この映画で撮影に使われたフィルムは、実際に映画に使われた量のなんと53倍だという。撮影しながらプロットを変えていくことの多いチャップリンの作品の中でもひときわ高いNG率となっている。