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2020.03.24 Tuesday
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きっちり足に合った靴さえあれば、自分はどこまでも歩いていけるはずだ。そう心のどこかで思いつづけ、完璧な靴に出会わなかった不幸をかこちながら、私はこれまで生きてきたような気がする。(『ユルスナールの靴』)
私たちが到着した時は、季節外れの暑さだったが、それでも緑は眩しかった。サンクトペテルブルグは、白い町とも緑の町とも描写されるが、友人達はよく、雪と氷の世界と、春と夏の青々とした緑の世界のどちらが美しいかを議論したものだった。私は、今はどの両方の美しさがわかるが、木々や公園がきらきらと輝くエメラルドで飾られる時期が一番好きだという者に同調したい。というのも、この時期こそ、あの幻惑的な白夜が現れる季節だからである。
毎年、二ヶ月間ほど、晩春の頃から、ロシア北部の夜はすべて消えてしまう。闇に近い状態になる時でさえ、空はばら色がかった紫の輝きを保ち、朝日が土地を照らしはじめる前の数時間それが続く。この素晴らしい白夜については、本で読んだり、人からその様子を聞いたりすることはできる。写真にしろ言葉にしろ、現象そのものをとても代弁などしてくれない。日中の太陽が澄みきった光を放ち、夜になると非常に青く光る季節なのだ。そして、夜には、町の公園や、その典雅なスカイライン、壮大な建物がほとんど生きているような雰囲気を帯びてくるのである。
「(ロシアの)ダンサーが共通に持っているのは、踊りながら音楽を感じる能力だ。ロシアのダンサーは決して拍子を取らない。私は、アメリカン・バレエ・シアターと一緒に踊った時に、そこのダンサーがいつも拍子を取っているのを見てとても驚いたよ。ストラヴィンスキー=バランシンのバレエでさえ、私が拍子を取らず、たんに音楽を感じていることが彼らには信じられなかったようだ。これは、西洋と東洋のダンスの大きな違いの一つなんだ。ロシアのダンサーは、音楽を聞くと、それとともにはばたきはじめる。踊っているのは彼らの魂なんだ。(中略)西欧では、『んータ』というようなアクセントでダンサーは下がるけれど、ロシアのダンサーは上がる。私にとっての大きな違いというのは、アメリカのダンサーは、キーロフのダンサーのように、内面から踊っておらず、外面から踊っているということなんだ。私から見ると、彼らは何も感じていないみたいだ」
「ソヴィエト連邦のたくさんの芸術家たちは不平たらたらでした。ロシア人が私を憎むのは、ゴスコンツェルト(ロシア国営のコンサート代理店)が悪いから、ホロヴィッツになれないという彼らの言いぐさです。彼らに本音を言えば、あなたがたはホロヴィッツじゃないからホロヴィッツになれないんだ、ということです!」
「ソヴィエトはもっと明るくて影があり、プラスであると同時にマイナスであろ。水であり火でした。それは入り組んでいて、天国であったり、地獄だったりしたのです。共産主義者たちの支配下だからといってけっして悪い国ではありませんでした。言い換えると、新しい体制だからといってよいということでもないのです」
「ロシア滞在は、よそ者にとって非常に正確な試金石となる。……ほかならぬロシアにおいては、決断した者だけが、何かを見ることができる」
ベンヤミンのこの言葉に私は不意を打たれた。おそらくこの言葉は、国家崩壊を経た今のロシアを訪れるものが、心して聞くべき言葉ではないだろうか。希望に満ちた時代のモスクワの記憶が、混迷を極める現代のそれと重なりあうことはない。だが、急進改革派、共産主義者、民族主義者が主導権争いに明け暮れ、空前の政治的ダッチロールを繰り返すなか、人はどんな誹りを浴びせられようと、一つの物差しを選ばなくてはならない。変貌に変貌を重ねるロシアを、複数の物差しで見ることは不可能であり、その変貌に追いつき、追い越そうとするなら、たちまちのうちに判断停止に陥る。何よりもまず足場を固め、「決断」という、何がしかの精巧なプリズムを手に入れなければならないのだ。
1.服装は地味な方が良い。
2.リュックはやめたほうが良い。
3.トイレは汚い。
4.トイレの紙は(紙質が悪いので)流さず、横のくずかごへ。
5.日本ではルーブル(ロシアの通貨)に両替できないので、米ドルを持っていく。
6.ルーブルは国外持出禁止。再両替も困難なため、小額紙幣を必要なだけ両替すべし。
7.町で出会う商売人に注意。
8.スリ・ひったくり・などなど、とにかく周囲に注意。
9.スキンヘッドに注意。
10.悪徳警官にも注意。
(「ペテロの町に恋をして」)
佐藤 例えば、トイレットペーパーって、ぼくがソ連にいたころは、年に二回、ひとり十個しか買えないんですよね。外国人向けの外貨ショップ「ベリョースカ(白樺)」には、高級ウイスキーやモンブランのボールペンは売っているのに、トイレットペーパーは売っていない。ソ連当局があえて外国人に不便な思いをさせようとしていたのだと思います。
モスクワ在住の外交官は普通、外交特権を使ってフィンランドのヘルシンキのデパート(ストックマン)から通信販売でトイレットペーパーを買います。ぼくはあえてロシア人と同じ生活をしてやろうと思って、買い出しに行ったんです。一時間ちょっと並んで十個買って、ひもでつないで、肩からぶら下げて歩く。あの幸福感といったらない。
亀山 それはほんとにロシア的幸福感ですね。
(亀山郁夫+佐藤優「ロシア 闇と魂の国家」)
中は結構広くて、お掃除おばさんが掃除している。個室は、ドアを開けると1段高くなっている形式だった。ところが便器が…あれ、便器がない?腰掛式の洋式便器がないので、ちょうど日本の和式トイレのような感じである。
ドアはある。しかしドアといっても、上下が切られている仕切りのようなものである。中が1段高くなっているので、そこで立っていると、外の床を掃除しているお掃除おばさんが見える。
ここで、お腹が痛くて考える余裕のなかったshiroperuは、つい、日本と同じ向きで壁の方を向いてしまったのだ…。
見かけが和式トイレとそっくりだったし…。このことが間違いだと気付いたときは、既に遅かった…、、、
向きは、ドアの方を向かなければならない。そうでないと、後で困ったことになってしまう。
(どう困ってしまうかと言うと…要は“流れない”んですね…、、、さすがにあまり詳しく書けません…(^_^;))
何回も水を流してトライするのだが、…○△×◎×、、、ど、どうしよう〜、、、(+_+)
しかも外のフロアーには、お掃除おばさんが“巡回”している…。外に出たら、なんだかすぐさま中を検分されそうな雰囲気である。
体調が悪いのと、この状況とで、ほんと〜に冷や汗が出てきた…、、、(ーー;)
これで、ドアの向こうで次の人が並んだりしたら、絶対絶命である〜、、、(@_@)
今ならまだ間に合う〜、、、逃げるなら今だ〜、、、
おばさんが横を向いている間に、何食わぬ顔をしながら、しかし心は脱兎のごとく、足早に出てきてしまった…。
(心の中では、「ゴメンナサ〜イ」m(__)mと謝っておいた…)
手を洗うところは別のスペースになっていたので、そこでも足早…ではなく、手早く済ませて逃げるようにトイレを後にしたのだった。
ロシアで便器のないトイレに入った場合は、くれぐれも“向き”にご注意を…。
(「ロシア旅行記」)
ある日、ニタリノフが自分の部屋の便所に便座をつくったらしい、という情報が流れた。
退屈していた我々は恥ずかしがるニタリノフを押しのけて、彼の便座を見に出かけた。 ニタリノフの便座は青い発砲スチロールでできていた。発砲スチロールは5センチほどの厚みがあったのでそれは実に堂々と存在感に満ちてロシア便器の上に乗っていた。「うーんさすがにやりますねえ」
とオクレンコが心から感心した声で言った。ニタリノフは何故か妙にふかくふかく恥じ入った様子で「いやほんのヒマつぶしですからねハハハ」とあまり感情のこもらない声で笑った。
(椎名誠「ロシアにおけるニタリノフの便座について」)
「スターリンです。ごきげんよう。同志ブルガーコフ」
「はじめまして、ヨシフ・ヴィサリオーノヴィチ」
「お手紙受け取りました。同志たちと一緒に読ませていただきました。その件については色よい返事が得られるでしょう……。お望みでしたら、ほんとうにあなたを外国に出してあげましょうか? あなたは私たちにそんなに嫌気がさされたのですか?」
「それって、ほんとうにすばらしいですね!」コーリャが思わず口にした。
「さあ、話はこれぐらいにして、あの子の供養に行きましょうよ。あんまり気にせず、クレープを食べて下さいね。昔から、ずっとつづいている良い習慣なんですから。」アリョーシャは笑いながら言った。
亀山郁夫訳(初版平成19年)
でもだからこそ、訳者はディフエンシヴにだけ訳すのでなく、オフェンシヴに仕事をしてほしいとも思います。「原作者の言語ではこういうことはできないけれど、わたしの言語ではこういうことができるんだぞ」とか、「作者は自分では気がついていなかったみたいだけれど、この作品にはこういう隠された面白さもあるんだよ」ということを積極的に探していく態度も翻訳家には必要な気がします。文学の翻訳は、作品の中の「情報」を訳すのではないはずです。なぜなら、文学を文学にしているのは、情報ではないからです。それが一体何なのかを原文において自分なりに理解し(この段階がすでに作者にとっては誤解されるということですが、しかし、誤解以外の理解の仕方はないのでそれでいいのです)、それを別の言語で再現するということは、一種の演出です。演出家として何らかのアイデアが必要ということになるでしょう。原文をなぞっているだけでは平板になってしまいます
(多和田葉子「ある翻訳家への手紙」)
1 『ドストエフスキー 謎とちから』から見えてきたもの
2 スメルジャコフと去勢派
3 続編を空想するための条件−−空想が妄想に堕さないために
4 インターミッション−−ドストエフスキーは『続編』を書きえたのか?
5 『カラマーゾフの兄弟』は、1866年の物語か
6 ニコライ・クラソートキンの運命
「わたしは、かつて皇帝暗殺をよしとしていた。もし、皇帝暗殺がいつか実現するとすれば、それはわたしにも責任がある−−。
非常に単純な言い方をすると「生きていて良かった」というひと言なんですね。この小説を翻訳できたということは、おそらくドストエフスキー以外の第三者の中では最高の快楽を味わえた、最高の喜びを味わえたという、そのひと言しかないんですね。それくらい喜びを与えてくれる小説なので、言葉がないとしかいいようがない。