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福島視察記(その2)

福島視察の2日目。常磐線の不通区間を代行バスでつなぎながら仙台に着き、少しだけ仙台の街中を散策して帰京した。

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2日目の行程
7:50 朝食
9:10 ホテル発 松川浦 相馬港 かさ上げ住宅ほか
10:45 ローソン 相馬松川浦店 コーヒー
11:05 ローソン発 タクシー
11:15 相馬着
11:20 相馬発 JR連絡バス
12:15 亘理着 昼食(きのこ炊き込みご飯おにぎり、魚フライ)
12:40 亘理発 常磐線
12:55 仙台着
13:10 仙台発 地下鉄
13:15 勾当台公園着
13:25 仙台メディアテーク入場
14:30 1Fカフェ(ビール)
15:10 同発
15:20 勾当台公園発
15:30 浜や(刺身、玉子焼き、牛たん)
17:09 仙台発 東北新幹線
18:52 東京着


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ホテルの朝食
湯豆腐や焼しゃけもついて満足。

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相馬市の盛土に建てられた分譲住宅
周囲の市街地と無縁で不連続な開発は、禍根を残すような気がしてならない。設計者の思いを感じない画一的なデザインもいただけない。

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津波に被災した相馬市の旧市街地
建物やがれきは撤去され、草ぼうぼうのまま手つかずとなっている。

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相馬駅
常磐線が不通のため、JR代行バスで亘理駅へ。

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亘理駅
城のように見えるのは、亘理町役場郷土資料館。跨線橋のように見えるのは、郷土資料館への渡り廊下。

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仙台メディアテーク
設計:伊東豊雄。2000年竣工。14年たっても輝きは変わらない。とてもいい運営や使われ方がされていると感じた。

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お造り盛合せ
閖上にあった料理屋「浜や」が被災したため、やむなく仙台駅ビル「エスパル」に出店した。閖上の○○さんに連れて行ってもらった店を再訪した。相変わらず、おいしい。

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牛タン焼き
仙台に行ったらこれを食べないと...

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まいじょ * ドキュメンタリー * 21:20 * comments(0) * trackbacks(0)

福島視察記(その1)

 昨年末(12月20-21日)、福島の浜通りの津波と原発のダブル被災地をまわってきた。途中、浪江町の期間困難区域に立入るなど、悲惨な現場をかいまみてきた。まだ消化不良だが、忘れないうちに記録しておこう。

福島(1).png
1日目の行程
8:00 上野発(スーパーひたち7号)
10:15 泉着
10:20 泉発 タクシー
10:50 塩屋崎灯台
11:20 発徒歩
11:45 豊間マルシェ 昼食(あさり炊き込みご飯、つみれ汁、鳥唐揚げ)
12:16 原町発 バス
13:00 いわき着
13:08 いわき発 常磐線
13:42 竜田着
13:50 竜田発 タクシー
15:20 原ノ町着
15:35 南相馬図書館 コーヒー
16:00 原ノ町発 常磐線
16:20 相馬駅
17:00 なぎさの奏 夕鶴

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いわき市平豊間の海岸
防潮堤は津波で破壊されたところには、黒い土嚢が積まれていた。このあたりの市街地は、いわき市の中で最も被害が大きかった。


3.11から3週間後に撮影された豊間海岸(Youtube)

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塩屋崎灯台
映画「喜びも悲しみも幾年月」の舞台であり、美空ひばりの「みだれ髪」にも歌われた。今は訪れる人も少ないが、たまに観光バスが立ち寄るようだ。

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豊間復興商店街「とよマルシェ」
私たちが訪れた12月20日に仮設商店街がプレオープンし、セレモニーが行われていた。



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「とよマルシェ」で購入した「あさりご飯」と「つみれ汁」。とてもおいしかった。本当は、豊間婦人会と福島大のコラボから生まれたという「ポーポー「串」焼き」も食べたかったのだけど、正午前に早くも売り切れ。

福島第一原発付近は常磐線が不通のため、竜田駅から原ノ町駅まではタクシーで移動。許可を得て立入り禁止区域にも立入るため、あらかじめ車は予約しておいた。

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建設中の富岡町仮設処理施設
巨大な要塞のような建物で不気味だ。



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津波被災のパトカー
津波でつぶれたパトカー。避難誘導中の警察官2名が殉職した。
「あなた方の崇高な警察魂と数々の功績は警察官の鑑として永久に忘れません。これからも私たちを見守ってください。双葉警察署」



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富岡駅
地震と津波で破壊されたまま放置されている。倒れた案内板に誰が貼ったか「富岡は負けん」の文字。

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国道6号線上の「福島第一原子力発電所」の案内サイン
国道6号線から「えふわん」までの距離は近いところで2、3キロメートル。道路から原発施設の上部がはっきりと見えた。

国道6号線は通行可能だが、両サイドは帰還困難区域で立入り禁止で、ガードマンがゲート監理している。浪江町発行の「通行証」を見せて人の住んでいない市街地に立ち入った。

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浪江駅
駅前の照明塔が、地震で折れたまま放置されている。

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浪江駅前の半壊の商店
震災後手つかずのまま放置されている。3年以上経過しており、このままではとても使えそうもない。このままゴーストタウンとなるのだろうか。

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相馬の宿の夕食
一日すさまじい風景ばかりみていたので、ほっとした。松川浦のそばのため、魚介類がうまかった。



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数学者はキノコ狩りの夢を見る

 昨年11月にNHKで再放送された『数学者はキノコ狩りの夢を見る 〜ポアンカレ予想・100年の格闘〜』が面白かった。

グリゴリ・ペレリマン博士

 ロシアの数学者グリゴリ・ペレリマンは、世紀の難問「ポアンカレ予想」を証明し、2008年フィールズ賞を授賞される栄誉をうけながら、なぜか受賞を辞退した。その後消息を絶ち、故郷サンクトペテルブルク郊外の森で、もっぱらキノコ狩りをしているという噂である。彼はなぜ行方をくらましたのか。

 若い頃のペレリマンは、明るくよく笑う少年だった。ところが、ポアンカレ予想に取り組み始めた頃から、まるで人間が変わってしまい、人付き合いをさけ、もっぱら研究に没頭するようになった。きっとポアンカレ予想の魔力にとりつかれてしまったのだろう。やがて証明には成功したものの、そのためにすべてを捧げ、人間性を失ってしまったのかもしれない。

ミハイル・グロモフ博士(フランス高等科学研究所)の話
 100年に一度の奇跡を説明するのは実に困難です。しかし、ペレリマンが孤独に耐えたことが成功の理由かもしれません。孤独の中の研究とは、日常の世界で生きると同時に、めくるめく数学の世界に没入するということです。人間性を真っ二つに引き裂かれるような厳しい闘いだったに違いありません。ペレリマンはそれに最後まで耐えたのです。

 ペレリマンの天才ぶりを伝えるエピソードがある。ポアンカレ予想の解決に先立つ1994年、ペレリマンは微分幾何学の問題の一つ「ソウル予想」を証明した。得意満面のペレリマン。あまりに簡潔な論文をみて、研究室の教授は「もう少し言葉を足して丁寧に書いたらどうか」と助言した。だが、ペレリマンはそれを拒否したという。

ジェフ・チーガー博士(ニューヨーク大学教授)の話
「彼の様子をみて、私は“アマデウス”という映画の一場面を思い出しました。モーツァルトが初期のオペラ作品を発表した場面です。音楽好きの皇帝が、モーツァルトのオペラを評して、こう言いました。『音楽は素晴らしかったが、音符の数が少し多すぎる。』するとモーツァルトは皇帝に『どの音符が余計なのか正確に教えてほしい』とかみつきました。『自分の作品には余分な音符もなければ足りない音符もない』と答えたのです。ペレリマンと論文の話をしたときも、ちょうどこんな感じでした。

 ペレリマンの成功まで、数多くの数学者がポアンカレ予想の証明に挑み、ことごとく失敗していた。

ポアンカレ予想(1904年)
「短連結な三次元閉多様体は三次元球面と同相と言えるか?」

 ポアンカレ予想は、三次元の空間である宇宙にロープをめぐらせ、その輪が回収できれば、宇宙は丸いといえるはずだという予想だという。

 1950年代、ポアンカレ予想の証明に一番近い男と見られたクリストス・パパキリアコプーロス博士(愛称・パパ)も、数学の魔力にとりつかれ、ポアンカレ予想にすべてを捧げ、果たせなかった数学者である。

シルベイン・カペル博士(ニューヨーク大学教授)の話
 彼(パパ)は自分がポアンカレ予想を選んだことで何を失ったのかよく自覚していました。彼はある時言いました。
ギリシアに恋人がいたが、結婚をあきらめた。でも、もしポアンカレ予想が証明できたら、国に戻って結婚できるかもしれない。そのためにも早く証明を完成させたい。
 彼はそう言っていました。

 番組とは別のところで、その後のペレリマンについて面白いウワサを聞いた。彼は、マリインスキー劇場の天井桟敷で「しょっちゅう」オペラを観ているというのだ。

 しょっちゅうマリインスキー劇場でオペラを見ているらしい。しょっちゅうなので安い席だそうだ。(こんなことまで、本当に調べられるのか?とも思うが)。

 オペラは例えばベートーヴェンの後期の弦楽四重奏やマタイ受難曲と比べて「大衆的」と言われるが、その要素の複雑さや、モーツァルトはじめトップ級の作曲家がこのジャンルに心血を注ぎきっているのを見ると、確かに結果的には宇宙のモデルにもなっているだろうし、高度な論理の長大な蓄積だ。

 そう捉えるならば、数学の難問の長大な論文とオペラはとても近いもののように思える。それに世紀の天才が座る席が、特等席やら招待席というのではいかにも不似合いだ。連日天上桟敷のはじっこに現れ、安物のオペラグラスか何かでステージを見つめたり、時々眠ったりしているのが超天才には似つかわしい。
「グレゴリー・ペレリマン: 平井洋の音楽旅」

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素数の魔力に囚われた人々

 昨年11月にNHKで放送された『素数の魔力に囚われた人々 〜リーマン予想・天才たちの150年の闘い〜』が面白かった。
素数階段とガウス

 2,3,5,7,11,13,17,19,23,……という素数の並びに何らかの規則性があるのではないか。昔から多くの数学者たちがこの謎に取り組んできたが、いまだに解明されていない。番組では、素数の並びの不思議さを、例えば素数階段のCGなどを使って、わかりやすく紹介していた。

 素数の不思議を感じさせるのが、オイラーが発見した次の数式である。
πの数式
 どうして、素数を元に計算する左辺と円周率の右辺が等号で結ばれるのかわからない。素数と宇宙とに何らかの関係があるのではないかと、神秘的なものを予感させる。

 数学史上最も難しい問題といわれるのが「ゼータ関数の非自明なゼロ点はすべて一直線上にあるはずだ」というリーマン予想(1859年)であるが、これこそ素数の規則の解明のための最大の鍵である。この150年間、本当に天才的な数学者たちがリーマン予想に取り組んできたが、その中には壮絶な研究のために心身を傷つけた人もいるし、また謎の死をとげた人もいる。
ジョン・ナッシュ博士
 映画「ビューティフル・マインド」のモデルとなったジョン・ナッシュ博士は、プリンストン大学に推薦されるとき指導教官が書いた推薦状には「この男は天才である」とだけ書かれていたという。それほどの天才が、リーマン予想と格闘するうちに統合失調症になってしまった。ナッシュは、今となって、次のようにふりかえる。
「私はリーマン予想は正しさを証明するのが難しいわけではなく、そもそも正しいか正しくないのかの判定さえできないと考えております。講演の時にはすでに正気を失っていたのでしょう。あの直後から、私は明らかに精神に異常をきたしました。数学の研究には、自身の心の内面をつきつめることが要求されます。ある時には論理的に考え、別の時には非論理的に考えることが要求されます。そうした複雑な思考が精神的な問題につながったのでしょう。」


 番組では、インターネットを通じた電子取引や軍事情報の保護に150桁を超えるような巨大な素数を使った暗号になっていることが紹介される。素数の謎が解明されていないことが、われわれの社会の安全につながっている側面もあるらしい。次のようなジョークがあるらしい。

もうすでにNSAに所属している天才数学者がリーマン予想も素数の謎も解いてしまっているのだが、通信の安全性を保つためそれを秘密にしている、と。
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まいじょ * ドキュメンタリー * 23:35 * comments(2) * trackbacks(0)
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